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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

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 阿弥陀寺  浄土宗
 山号:蓮台山  本尊:阿弥陀如来
 創建:天文24年(1555年)  開基:玉誉清玉
 所在地:京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
 蓮台山 阿弥陀寺。御朱印に記されているように、このお寺は本能寺の変で斃れた織田信長信忠親子や、森 蘭丸坊丸力丸兄弟等のお墓があることで知られる。
 天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が謀反を起こして信長を本能寺で討った際、清玉上人は自ら現地に赴いて信長の遺灰を持ち帰り、墓を築いたという。後に信忠の遺骨も二条御新造より拾い集め、その横に墓をなしたのだとか。
 豊臣秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事料300石があてられたが清玉上人はこれを度々拒否したために秀吉が憤り、新たに大徳寺に寺を建立して信長の法名を採って総見院と号し、大徳寺総見院にて法事を行ったそうな。これらの説の真偽は不明だが、個人的にはそこそこ信憑性があるような気がする。
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 小学生の頃、青池保子さんの「イブの息子たち」に登場した森 蘭丸(右画像)の美しさに一目で虜になって以来30余年、蘭丸は私の心のアイドル♪ 4年ほど前に初めてこのお寺に参ったときは感無量であった。嗚呼…やっと逢えたのね、蘭丸…。・゚・(ノД`)・゚・。
 
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案外小さい信長・信忠親子のお墓

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蘭丸・坊丸・力丸兄弟のお墓

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 No.128 蓮台山 阿弥陀寺 「信長公本廟」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-07-09 04:46 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 相国寺  臨済宗相国寺派大本山
 山号:萬年山  本尊:釈迦如来
 創建:永徳2年(1382年)  開基:足利義満  開山:夢窓疎石
 所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
 相国寺HP: http://www.shokoku-ji.jp/
 上御霊神社→下御霊神社へ行こうと思ったが既に日も暮れつつあったため、予定を変更して程近い相国寺へと向かうことに。タクシーを止めて行き先を告げると、すぐそこだからということで運賃不要で送っていただいた。その節は本当に有難うございました m(_ _)m 
 この相国寺、正式名称を萬年山 相國承天禅寺というそうで、京都五山の第2位に列せられている立派な禅寺であーる。室町幕府3代将軍・足利義満により、夢窓疎石を開山(初代住職)として創建され、かの金閣寺(鹿苑寺)・銀閣寺(慈照寺)は相国寺の塔頭寺院であるらしい。おらが田舎出身の画僧・雪舟は、幼い頃に総社(岡山県総社市)の宝福寺に入り、10歳頃からここ相国寺で修行を積んだそうな。
 拝観受付時間終了間際だったため、ゆっくり見て回れなかったのが悔やまれる。
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 相国寺の法堂(はっとう)は「無畏堂」とも言い、現存する法堂としては日本最古のものらしい。豊臣秀頼の寄進によって慶長10年(1605年)に再建されたものなのだとか。関ヶ原の戦いの5年後からって――スゴすぎる。
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 境内をフラフラしていたらひっそりとした墓所があり、こんな石碑が建っていた。
「禁門変長州藩殉難者墓所」
どうやら禁門の変での長州側の戦死者約60名のうち、薩摩藩と交戦して亡くなった20名は、薩摩藩により相国寺の塔頭寺院・大光明寺に葬られたらしい。
 この禁門の変の後、長州藩は朝敵となってしまうのだが、わずか2年後に薩摩藩と薩長同盟を結び、戊辰戦争では旧幕府側が賊軍となり新政府軍に敗れてしまうという…。
 私個人は新選組贔屓なのであるが、あの時代はどちら側も正義であったと思う。各々が自分の信念を貫いて行動し、日本に夜明けを起こしてくれたのだ。

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あの金閣寺(鹿苑寺)が相国寺の山外塔頭だったとは…。2014年10月撮影。


 No.127 萬年山 相國承天禅寺 「無畏堂」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-06-13 22:35 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 上御霊神社  旧府社
 祭神:崇道天皇、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫、火雷神、吉備大臣
 創建:貞観5年(863年)  
 所在地:京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495 
 下鴨神社(賀茂御祖神社)でタクシーを拾い、次なる目的地・上御霊神社へ。運転手さんからは「観光で行く神社じゃない」と言われたが、上賀茂神社→下鴨神社とくれば、やっぱり次は上御霊神社→下御霊神社でしょう。 
 神社前でタクシーを降りると、目の前には何やら見覚えのある光景が…。あッ!以前ブログ仲間さんと京都で会ったとき、阿弥陀寺に案内してもらっている途中にあった神社だ!その時のことを綴った駄ブログがこちら。
冬の京都史跡巡り~阿弥陀寺、本能寺』 (「Pastime Paradise」 2012.12.08)

 上御霊神社(正式には御靈神社というらしい)は、延暦13年(794年)に崇道天皇を祀ったのが始まりだそうで、その後7柱が合祀され、貞観5年(863年)に悪疫退散の御霊会(ごりょうえ)が勅命で催されたのが起源なのだとか。当時、天変地異や疫病流行は不運のうちに薨じた方々の御霊(怨霊)の祟りだとされており、御霊会というのは御霊による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であるらしい。
 天皇の怨霊といえば讃岐に配流された崇徳天皇が有名だが、時代が違うので8柱には含まれいない。
 崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子。崇道天皇は追称で、皇位は継承していない)は藤原種継暗殺事件への関与を疑われ、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流される途中で憤死。
 井上大皇后は夫である光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、息子の他戸親王も皇太子を廃されてしまう。その翌年、今度は難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したという嫌疑で、他戸親王ともども庶人に落とされ、母子は同じ日に幽閉先で薨去。
 藤原大夫人(桓武天皇夫人)もこれまた謀反の嫌疑により、息子の伊予親王と共に幽閉されて自害。
 橘大夫(橘 逸勢)も同様に謀反の嫌疑により姓を「非人」と改めさせられ、伊豆へ流罪(護送途中に病没)。
 文大夫(文室宮田麻呂)もやはり謀反の嫌疑で伊豆へ流罪。
 火雷神というのは上記6柱の荒魂だそうなのだが(何のことかよく分からない)、一人解せないのが吉備大臣こと吉備真備。何故奈良時代のスーパーエリートがこの中に入っているのかしらん?

 この上御霊神社は応仁の乱発祥の地でもあるらしく、応仁元年(1467年)に畠山政長畠山義就の戦い(御霊合戦)が神社内で勃発、この合戦が応仁の乱開始の契機となり、本格的な戦乱の幕開けとなったそうな。
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 No.126 上御霊神社(御靈神社) 「京・上御霊 御霊社」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-05-04 04:18 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 河合神社  式内社(名神大社)
 祭神:玉依姫命
 創建:不詳  
 所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59 
 下鴨神社(賀茂御祖神社)の境内にある第一摂社・河合神社にもフラリと寄ってみた。古くは鴨川合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこそやけのかみのやしろ)といったらしい。『延喜式』(の9・10巻を延喜式神名帳といい、「官社」に指定されていた全国の神社一覧のこと)には鴨河合坐小社宅神社と掲載されており、鴨河合とは賀茂川と高野川が合流する地を表しているのだとか。

 鳥居を潜り、神門(っていうのかしらん!?)に到着すると、“女性守護 日本第一美麗神” と書かれてある。何のこっちゃ?と思ったが、どうやら祭神の玉依姫命は神武天皇の母上だそうで、日本の建国に母として貢献したことから婦道の神として、また玉の如くに美しい姿から美麗の神として信仰されているそうな。というわけで、この神社では柄鏡の形をしている顔の描かれた絵馬に、自分のメイク道具で願いを込めて化粧して奉納するらしい。47歳2児(二人ともとっくに成人)の母、残念ながら美に対して何の願いもないため、絵馬はスルー。

 “ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし…” という書き出しでお馴染みの「方丈記」の著者・鴨 長明は、この河合神社の神宮の家系に生まれたらしい。残念ながら方丈記にも然程興味がないため、方丈記を執筆した方丈の復元があったみたいだが、これまたスルー。そういえば学生時代の国語の授業って、何故か冒頭だけ覚えさせられたよね。平家物語、源氏物語、枕草子、方丈記、土佐日記、奥の細道、曽根崎心中(道行)などなど。まぁそのおかげで、こうして駄ブログに綴れているのだけれど…(^^;
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 No.125 河合神社 「河合大明神」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-05-03 01:23 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 賀茂御祖神社 (下鴨神社)  名神大社、二十二社(上七社)、官幣大社、勅祭社、別表神社  世界遺産
 祭神:玉依姫命、賀茂建角身命
 創建:不詳 【崇神天皇7年(BC90年)神社の瑞垣が造営された】  
 所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
 下鴨神社HP: http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 上賀茂神社(賀茂別雷神社)同様、1994年に世界遺産として登録された「古都京都の文化財」の一つである賀茂御祖神社、通称・下鴨神社。祀られているのは上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命の母である玉依姫命と、玉依姫命の父である賀茂建角身命。よって賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)というそうな。
 下鴨神社の歴史は相当古く、公式HPによると “創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇2年(BC658年)2月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる” 云々とある。神武天皇って実在したかも怪しい初代天皇で、BC658年って弥生時代だよ!? でもって “崇神天皇7年(BC90年)には社の瑞垣が造営され、垂仁天皇27年(BC2年)には御神宝が奉まつられている。また、緩靖天皇(BC580年)の御世より御生神事が行われたとの伝承があり…” 云々。神武、緩靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁――って大学に入学して最初に歴代天皇を覚えさせられたけど(史学科卒)、垂仁天皇までは今でもちゃんと覚えてるんだよね。次の景行天皇でいつも詰まってしまう…どうでもいいけど。

 鳥居を潜ると表参道脇には糺(ただす)の森といわれる、東京ドームの約3倍の面積がある原生林が生茂り、川だか池だかもあって、とにかく広い。この広さを表すときによく引き合いに出される東京ドームなのだが、関東近辺の人しか広さの感じが掴めないよね。私も東京ドームなんて行ったことがないから、自分で書いてても全くピンとこないや(^^;

 下鴨神社は以前参拝したことがあるため、今回は軽く見て回ったのみ。日が傾きかけた頃だったので、写真もちょっと残念かしらん…。 
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 No.124 賀茂御祖神社 「山城国一之宮 賀茂御祖神社」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-05-02 21:14 | 京都府・神社 | Comments(0)