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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

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 須磨寺  真言宗須磨寺派大本山
 山号:上野山  本尊:聖観音
 創建:仁和2年(886年)  開基:聞鏡、光孝天皇(勅願)
 札所:真言宗十八本山 第2番、新西国三十三箇所 第24番、摂津国八十八箇所 第88番 他
 所在地:兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
 須磨寺HP: http://www.sumadera.or.jp/

 須磨寺の納経所に入って驚いたのが、御朱印を書いてくださる僧侶さんが何人も並んで座っておられることだった。5、6人はいたように思う。はっきり覚えてないけど。 
 確かにここ須磨寺は多くの霊場の札所になっているようで、Wikiさんによると
・真言宗十八本山 第2番
・新西国三十三箇所 第24番
・摂津国三十三箇所 第7番
・摂津国八十八箇所 第88番
・福原西国観音霊場 第7番
・神戸七福神 (福禄寿尊)
・神戸六地蔵 客番
とあり、2017年早春に開創されたらしい平家物語巡り(須磨寺、屋島寺、六萬寺、厳島神社、大聖院、赤間神宮)なんていうものにも入っているようだ。
 御朱印も多種類あるようだったが、前回アップした新西国霊場の御朱印と、御詠歌を書いていただいた。
 『世にひびく 青葉の笛の 名にぞきく すまのみ寺の 松風の声』
 この青葉の笛というのは平敦盛遺愛の笛のことで、もともと弘法大師が留学からの帰国後、嵯峨天皇に献上して青葉の笛と名付けられ、その後皇室から平家の手に渡ったものらしい。

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 No.130 上野山 福祥寺 「世にひびく青葉の笛の名にぞきく すまのみ寺の松風の声」 2017-04-9(Sun)


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# by yan-puchi | 2017-12-11 04:53 | 兵庫県・寺院 | Comments(0)
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 須磨寺  真言宗須磨寺派大本山
 山号:上野山  本尊:聖観音
 創建:仁和2年(886年)  開基:聞鏡、光孝天皇(勅願)
 札所:真言宗十八本山 第2番、新西国三十三箇所 第24番、摂津国八十八箇所 第88番 他
 所在地:兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
 須磨寺HP: http://www.sumadera.or.jp/

 今年4月、神戸文化ホールにて行われた『神戸花月 春の特別公演2017』の追加公演に月亭方正さんが出演するというので、久しぶりに神戸に行ってきた。18時開演ということなので、その前に須磨寺へ立ち寄った。
 須磨寺というのは通称らしく、正式名は上野山 福祥寺だそうな。

 兵庫区和田岬の海中から引き上げられた聖観音像を安置するため、淳和天皇の勅命により、兵庫区会下山に恵偈山北峰寺が建立され、後の仁和2年(AD886)に光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立し、北峰寺より聖観音像を遷し、本尊としてお祀りしたのが須磨寺の始まりらしい。
 源平ゆかりのお寺ということで、平敦盛遺愛の青葉の笛や弁慶の鐘、さらに敦盛首塚や義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡があり、庭には平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した像があった。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり~」
 織田信長が好んで演じていたことで知られるこの節は、幸若舞『敦盛』の一節である。『敦盛』は須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で16歳の若武者・敦盛を討ってしまった直実が、世の無常を感じて出家するという話だそうで、直実は法然の弟子となり、出家後間もなくの建久4年(1193年)、法然の徳を慕って法然生誕地に誕生寺を建立したという。

 境内には、「オモロイ寺にしたい」という住職の希望で、いろいろとオモロイものが置かれている(HPより)というが、オモロイというか微妙というか…(^^;

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 No.129 上野山 福祥寺 「大悲殿」 2017-04-9(Sun)


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# by yan-puchi | 2017-12-06 13:23 | 兵庫県・寺院 | Comments(0)
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 阿弥陀寺  浄土宗
 山号:蓮台山  本尊:阿弥陀如来
 創建:天文24年(1555年)  開基:玉誉清玉
 所在地:京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
 蓮台山 阿弥陀寺。御朱印に記されているように、このお寺は本能寺の変で斃れた織田信長信忠親子や、森 蘭丸坊丸力丸兄弟等のお墓があることで知られる。
 天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が謀反を起こして信長を本能寺で討った際、清玉上人は自ら現地に赴いて信長の遺灰を持ち帰り、墓を築いたという。後に信忠の遺骨も二条御新造より拾い集め、その横に墓をなしたのだとか。
 豊臣秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事料300石があてられたが清玉上人はこれを度々拒否したために秀吉が憤り、新たに大徳寺に寺を建立して信長の法名を採って総見院と号し、大徳寺総見院にて法事を行ったそうな。これらの説の真偽は不明だが、個人的にはそこそこ信憑性があるような気がする。
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 小学生の頃、青池保子さんの「イブの息子たち」に登場した森 蘭丸(右画像)の美しさに一目で虜になって以来30余年、蘭丸は私の心のアイドル♪ 4年ほど前に初めてこのお寺に参ったときは感無量であった。嗚呼…やっと逢えたのね、蘭丸…。・゚・(ノД`)・゚・。
 
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案外小さい信長・信忠親子のお墓

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蘭丸・坊丸・力丸兄弟のお墓

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 No.128 蓮台山 阿弥陀寺 「信長公本廟」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-07-09 04:46 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 相国寺  臨済宗相国寺派大本山
 山号:萬年山  本尊:釈迦如来
 創建:永徳2年(1382年)  開基:足利義満  開山:夢窓疎石
 所在地:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
 相国寺HP: http://www.shokoku-ji.jp/
 上御霊神社→下御霊神社へ行こうと思ったが既に日も暮れつつあったため、予定を変更して程近い相国寺へと向かうことに。タクシーを止めて行き先を告げると、すぐそこだからということで運賃不要で送っていただいた。その節は本当に有難うございました m(_ _)m 
 この相国寺、正式名称を萬年山 相國承天禅寺というそうで、京都五山の第2位に列せられている立派な禅寺であーる。室町幕府3代将軍・足利義満により、夢窓疎石を開山(初代住職)として創建され、かの金閣寺(鹿苑寺)・銀閣寺(慈照寺)は相国寺の塔頭寺院であるらしい。おらが田舎出身の画僧・雪舟は、幼い頃に総社(岡山県総社市)の宝福寺に入り、10歳頃からここ相国寺で修行を積んだそうな。
 拝観受付時間終了間際だったため、ゆっくり見て回れなかったのが悔やまれる。
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 相国寺の法堂(はっとう)は「無畏堂」とも言い、現存する法堂としては日本最古のものらしい。豊臣秀頼の寄進によって慶長10年(1605年)に再建されたものなのだとか。関ヶ原の戦いの5年後からって――スゴすぎる。
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 境内をフラフラしていたらひっそりとした墓所があり、こんな石碑が建っていた。
「禁門変長州藩殉難者墓所」
どうやら禁門の変での長州側の戦死者約60名のうち、薩摩藩と交戦して亡くなった20名は、薩摩藩により相国寺の塔頭寺院・大光明寺に葬られたらしい。
 この禁門の変の後、長州藩は朝敵となってしまうのだが、わずか2年後に薩摩藩と薩長同盟を結び、戊辰戦争では旧幕府側が賊軍となり新政府軍に敗れてしまうという…。
 私個人は新選組贔屓なのであるが、あの時代はどちら側も正義であったと思う。各々が自分の信念を貫いて行動し、日本に夜明けを起こしてくれたのだ。

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あの金閣寺(鹿苑寺)が相国寺の山外塔頭だったとは…。2014年10月撮影。


 No.127 萬年山 相國承天禅寺 「無畏堂」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-06-13 22:35 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 上御霊神社  旧府社
 祭神:崇道天皇、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫、火雷神、吉備大臣
 創建:貞観5年(863年)  
 所在地:京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495 
 下鴨神社(賀茂御祖神社)でタクシーを拾い、次なる目的地・上御霊神社へ。運転手さんからは「観光で行く神社じゃない」と言われたが、上賀茂神社→下鴨神社とくれば、やっぱり次は上御霊神社→下御霊神社でしょう。 
 神社前でタクシーを降りると、目の前には何やら見覚えのある光景が…。あッ!以前ブログ仲間さんと京都で会ったとき、阿弥陀寺に案内してもらっている途中にあった神社だ!その時のことを綴った駄ブログがこちら。
冬の京都史跡巡り~阿弥陀寺、本能寺』 (「Pastime Paradise」 2012.12.08)

 上御霊神社(正式には御靈神社というらしい)は、延暦13年(794年)に崇道天皇を祀ったのが始まりだそうで、その後7柱が合祀され、貞観5年(863年)に悪疫退散の御霊会(ごりょうえ)が勅命で催されたのが起源なのだとか。当時、天変地異や疫病流行は不運のうちに薨じた方々の御霊(怨霊)の祟りだとされており、御霊会というのは御霊による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であるらしい。
 天皇の怨霊といえば讃岐に配流された崇徳天皇が有名だが、時代が違うので8柱には含まれいない。
 崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子。崇道天皇は追称で、皇位は継承していない)は藤原種継暗殺事件への関与を疑われ、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流される途中で憤死。
 井上大皇后は夫である光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、息子の他戸親王も皇太子を廃されてしまう。その翌年、今度は難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したという嫌疑で、他戸親王ともども庶人に落とされ、母子は同じ日に幽閉先で薨去。
 藤原大夫人(桓武天皇夫人)もこれまた謀反の嫌疑により、息子の伊予親王と共に幽閉されて自害。
 橘大夫(橘 逸勢)も同様に謀反の嫌疑により姓を「非人」と改めさせられ、伊豆へ流罪(護送途中に病没)。
 文大夫(文室宮田麻呂)もやはり謀反の嫌疑で伊豆へ流罪。
 火雷神というのは上記6柱の荒魂だそうなのだが(何のことかよく分からない)、一人解せないのが吉備大臣こと吉備真備。何故奈良時代のスーパーエリートがこの中に入っているのかしらん?

 この上御霊神社は応仁の乱発祥の地でもあるらしく、応仁元年(1467年)に畠山政長畠山義就の戦い(御霊合戦)が神社内で勃発、この合戦が応仁の乱開始の契機となり、本格的な戦乱の幕開けとなったそうな。
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 No.126 上御霊神社(御靈神社) 「京・上御霊 御霊社」 2016-12-19(Mon)


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# by yan-puchi | 2017-05-04 04:18 | 京都府・神社 | Comments(0)