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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

カテゴリ:京都府・神社( 11 )

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 上御霊神社  旧府社
 祭神:崇道天皇、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫、火雷神、吉備大臣
 創建:貞観5年(863年)  
 所在地:京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495 
 下鴨神社(賀茂御祖神社)でタクシーを拾い、次なる目的地・上御霊神社へ。運転手さんからは「観光で行く神社じゃない」と言われたが、上賀茂神社→下鴨神社とくれば、やっぱり次は上御霊神社→下御霊神社でしょう。 
 神社前でタクシーを降りると、目の前には何やら見覚えのある光景が…。あッ!以前ブログ仲間さんと京都で会ったとき、阿弥陀寺に案内してもらっている途中にあった神社だ!その時のことを綴った駄ブログがこちら。
冬の京都史跡巡り~阿弥陀寺、本能寺』 (「Pastime Paradise」 2012.12.08)

 上御霊神社(正式には御靈神社というらしい)は、延暦13年(794年)に崇道天皇を祀ったのが始まりだそうで、その後7柱が合祀され、貞観5年(863年)に悪疫退散の御霊会(ごりょうえ)が勅命で催されたのが起源なのだとか。当時、天変地異や疫病流行は不運のうちに薨じた方々の御霊(怨霊)の祟りだとされており、御霊会というのは御霊による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であるらしい。
 天皇の怨霊といえば讃岐に配流された崇徳天皇が有名だが、時代が違うので8柱には含まれいない。
 崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子。崇道天皇は追称で、皇位は継承していない)は藤原種継暗殺事件への関与を疑われ、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流される途中で憤死。
 井上大皇后は夫である光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、息子の他戸親王も皇太子を廃されてしまう。その翌年、今度は難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したという嫌疑で、他戸親王ともども庶人に落とされ、母子は同じ日に幽閉先で薨去。
 藤原大夫人(桓武天皇夫人)もこれまた謀反の嫌疑により、息子の伊予親王と共に幽閉されて自害。
 橘大夫(橘 逸勢)も同様に謀反の嫌疑により姓を「非人」と改めさせられ、伊豆へ流罪(護送途中に病没)。
 文大夫(文室宮田麻呂)もやはり謀反の嫌疑で伊豆へ流罪。
 火雷神というのは上記6柱の荒魂だそうなのだが(何のことかよく分からない)、一人解せないのが吉備大臣こと吉備真備。何故奈良時代のスーパーエリートがこの中に入っているのかしらん?

 この上御霊神社は応仁の乱発祥の地でもあるらしく、応仁元年(1467年)に畠山政長畠山義就の戦い(御霊合戦)が神社内で勃発、この合戦が応仁の乱開始の契機となり、本格的な戦乱の幕開けとなったそうな。
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 No.126 上御霊神社(御靈神社) 「京・上御霊 御霊社」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-05-04 04:18 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 河合神社  式内社(名神大社)
 祭神:玉依姫命
 創建:不詳  
 所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59 
 下鴨神社(賀茂御祖神社)の境内にある第一摂社・河合神社にもフラリと寄ってみた。古くは鴨川合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこそやけのかみのやしろ)といったらしい。『延喜式』(の9・10巻を延喜式神名帳といい、「官社」に指定されていた全国の神社一覧のこと)には鴨河合坐小社宅神社と掲載されており、鴨河合とは賀茂川と高野川が合流する地を表しているのだとか。

 鳥居を潜り、神門(っていうのかしらん!?)に到着すると、“女性守護 日本第一美麗神” と書かれてある。何のこっちゃ?と思ったが、どうやら祭神の玉依姫命は神武天皇の母上だそうで、日本の建国に母として貢献したことから婦道の神として、また玉の如くに美しい姿から美麗の神として信仰されているそうな。というわけで、この神社では柄鏡の形をしている顔の描かれた絵馬に、自分のメイク道具で願いを込めて化粧して奉納するらしい。47歳2児(二人ともとっくに成人)の母、残念ながら美に対して何の願いもないため、絵馬はスルー。

 “ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし…” という書き出しでお馴染みの「方丈記」の著者・鴨 長明は、この河合神社の神宮の家系に生まれたらしい。残念ながら方丈記にも然程興味がないため、方丈記を執筆した方丈の復元があったみたいだが、これまたスルー。そういえば学生時代の国語の授業って、何故か冒頭だけ覚えさせられたよね。平家物語、源氏物語、枕草子、方丈記、土佐日記、奥の細道、曽根崎心中(道行)などなど。まぁそのおかげで、こうして駄ブログに綴れているのだけれど…(^^;
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 No.125 河合神社 「河合大明神」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-05-03 01:23 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 賀茂御祖神社 (下鴨神社)  名神大社、二十二社(上七社)、官幣大社、勅祭社、別表神社  世界遺産
 祭神:玉依姫命、賀茂建角身命
 創建:不詳 【崇神天皇7年(BC90年)神社の瑞垣が造営された】  
 所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
 下鴨神社HP: http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 上賀茂神社(賀茂別雷神社)同様、1994年に世界遺産として登録された「古都京都の文化財」の一つである賀茂御祖神社、通称・下鴨神社。祀られているのは上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命の母である玉依姫命と、玉依姫命の父である賀茂建角身命。よって賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)というそうな。
 下鴨神社の歴史は相当古く、公式HPによると “創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇2年(BC658年)2月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる” 云々とある。神武天皇って実在したかも怪しい初代天皇で、BC658年って弥生時代だよ!? でもって “崇神天皇7年(BC90年)には社の瑞垣が造営され、垂仁天皇27年(BC2年)には御神宝が奉まつられている。また、緩靖天皇(BC580年)の御世より御生神事が行われたとの伝承があり…” 云々。神武、緩靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁――って大学に入学して最初に歴代天皇を覚えさせられたけど(史学科卒)、垂仁天皇までは今でもちゃんと覚えてるんだよね。次の景行天皇でいつも詰まってしまう…どうでもいいけど。

 鳥居を潜ると表参道脇には糺(ただす)の森といわれる、東京ドームの約3倍の面積がある原生林が生茂り、川だか池だかもあって、とにかく広い。この広さを表すときによく引き合いに出される東京ドームなのだが、関東近辺の人しか広さの感じが掴めないよね。私も東京ドームなんて行ったことがないから、自分で書いてても全くピンとこないや(^^;

 下鴨神社は以前参拝したことがあるため、今回は軽く見て回ったのみ。日が傾きかけた頃だったので、写真もちょっと残念かしらん…。 
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 No.124 賀茂御祖神社 「山城国一之宮 賀茂御祖神社」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-05-02 21:14 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 賀茂別雷神社 (上賀茂神社)  名神大社、二十二社(上七社)、官幣大社、勅祭社、別表神社  世界遺産
 祭神:賀茂別雷大神
 創建:天武天皇7年(678年)  
 所在地:京都府京都市北区上賀茂本山339
 上賀茂神社HP: http://www.kamigamojinja.jp/

 1994年に世界遺産として登録された、点在する17か所の寺社と城郭で構成される古都京都の文化財。そのうちの一つである賀茂別雷神社、通称・上賀茂神社は京都で最も古い社だそうで、手元のパンフレットによると、神代の昔に本殿の北北西にある秀峰・神山に(賀茂別雷命が)降臨し、天武天皇7年(678年)に現在の社殿の基が整えられたそうな。 
 『延喜式』では名神大社に列し、のち山城国一宮として尊崇され、二十二社(上七社)の一社であり、明治16年(1883年)に勅祭社と定められ、明治以降終戦まで官幣大社として伊勢神宮に次ぐ全国神社の筆頭に位し、現在は神社本庁の別表神社である。これらはいずれも社格(神社の格式)のことで、まぁとにかく偉い神社らしい。
 偉い神社であるからして、境内はとにかく広い。あちこちフラフラと見て回り、デカい破魔矢が目を引く建物(楼門だっけ?)を潜って御朱印をいただいていると、「国宝・本殿特別参拝とご神宝の拝観」と書かれた看板が目に入った。 
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e0342766_15593533.jpg 特別参拝を申し込み、初穂料500円を納めると、浄掛(左の写真)を渡されるので首に掛けて直会殿へ。そこで神職の方から祭神誕生神話「賀茂神話」の説明並びに御祓いをしていただき、国宝の権殿、本殿にて参拝。その後、高倉殿に展示してあるご神宝を拝観。「信長禁制」や「秀吉朱印状」等が展示されていた。
 そして最後に式年遷宮に伴う檜皮屋根葺替に奉賛を…ということで、檜の皮を奉納し、お守りをいただいた。神社のHPを見ると奉賛金の額によってランクがあるようで、どうやら私は“協賛員”という一番下のランクらしい。もうちょい奮発していれば“普通会員”になれたみたいだが、上賀茂神社に参拝するのはおそらく今回が最初で最後になるだろうから、まぁいっか。
 地元の皆様、しっかり奉賛してくださいまし(^^)
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 No.123 賀茂別雷神社 「山城国一之宮 賀茂別雷神社」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-04-28 06:06 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 今宮神社  旧府社
 祭神:大己貴命、事代主命、奇稲田姫命
 創建:正暦5年(994年)  
 所在地:京都府京都市北区紫野今宮町21
 今宮神社HP: http://www.imamiyajinja.org/top/index.html

 大徳寺の広い山内を出て程近くの今宮神社へ。 
 どうやらここには平安建都(鳴くよウグイス平安京)より前から疫神を祀る社があったそうだが、平安京が栄える一方で度々疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会が営まれたらしい。正暦5年(994年)、ここの疫神を二基の神輿で船岡山に安置して悪疫退散を祈ったとかで、これが紫野御霊会であり、現在も続いているらしい今宮祭の起源なのだとか。そして長保3年(1001年)に疫神は船岡山から再びこの地に奉遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名付けられたという。

 「玉の輿」の語源という説もある、西陣の八百屋に生まれながら徳川3代将軍・家光の側室となり、5代将軍・綱吉の生母でもある桂昌院(お玉)と所縁があることから良縁祈願の参拝も多いのだとか。今宮神社名物「あぶり餅」は玉のようなお餅を食べて、お玉さんのような御利益をあやかろうとしたという言い伝えがあるらしい。何とここのあぶり餅屋さんは平安時代頃からある、日本最古の和菓子屋さんだそうな。嗚呼、食べ損ねた~(T T)
 
 初めて見開きの御朱印をいただき、天然石のストラップお守りも購入。玉の輿お守にも惹かれたのだが、今のところ離婚の予定はないので購入は見送った次第。まぁ将軍にはなれないけど、我が家の男達もそれぞれ私にとってはかけがえのない存在なのであーる。
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 No.122 今宮神社 「むらさきの 今宮神社」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-04-16 00:38 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 京都霊山護國神社  内務大臣指定護国神社、別表神社
 祭神:護国の英霊約7万3千柱
 創建:明治元年(1868年)  
 所在地:京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
 京都霊山護國神社HP: http://www.gokoku.or.jp/

 京都霊山護国神社はWikiさんによると、慶応4年(1868年)明治天皇から維新を目前にして倒れた志士達の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられ、それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのがはじまりだそうで、当初は霊山官祭招魂社と称していたらしい。そして昭和11年(1936年)日中戦争をきっかけとして国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀ろうという運動がおき、境内を拡大して新たに社殿を造営、昭和14年(1939年)内務大臣布告により現在の社号である京都霊山護国神社と改称されたという。 
 坂本龍馬木戸孝允高杉晋作久坂玄瑞中岡慎太郎宮部鼎蔵ら幕末勤王の志士1,356柱に、明治以降の日清、日露、太平洋戦争などの戦死者を合わせ、約73,000柱が祭神として祀られているそうな。 e0342766_16463827.jpg 
 
 神社までは坂道を上っていくのだが、この坂を “維新の道” という。維新の道を歩いていると、左手に何やらデカい観音像が!この巨大観音は霊山観音(りょうぜんかんのん)といわれるらしい。高さ24メートル、総重量500トンって…。
 霊山観音は第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するために、民間の方が建てられたというからビックリ!

 さて、護国神社に到着してまずは参拝。それから社務所に伺うと、バイトらしきお兄さんがいらっしゃるだけだった。書置きの御朱印をいただき、ついでに幕末志士おみくじを100円払って引いてみた。久坂玄瑞さんで “吉”。
 霊山墓地には多くの幕末維新の志士達が祀られており、興味はあったのだが墓地には行かなかった。また境内には、明治維新関係の資料が展示してある「霊山歴史館」もあったのだが、そちらも今回は寄らずに帰った。
 護国神社でいただいたパンフレットが「新選組と近藤勇に討たれた志士たち」というもので、元治元年(1864年)6月5日に起こった池田屋騒動の犠牲者について書かれてあった。
 佐幕派も勤王派も己の信じる道を進んだだけで、どちらも正しかったと思う。個人的には佐幕派側に共感を覚えるものの、これは判官贔屓というものであろう。若くして命を散らした幾多の志士達の熱い思いを決して無駄にすることなきよう、私も自分なりに真直ぐ生きていかねば――。
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 No.98 京都霊山護國神社 「京都霊山護國神社」 2016-02-27(Sat)

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by yan-puchi | 2016-06-17 18:44 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 豊国神社  別格官幣社、別表神社
 祭神:豊臣秀吉
 創建:慶長4年(1599年)  
 所在地:京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530 
 京都の街をふらふら歩いていると何やら塀があったので、塀に沿って進んでみると、修学旅行生と思しき男の子達が大きな鐘に群がっていた。多少気になったものの、男子生徒達はそこから離れる気配がなかったので、横目でちらりと見遣って隣にある神社へ向かった。
 後で知ったのだがこのお寺は方広寺といい、男子生徒達が群がっていた鐘は方広寺鐘銘事件で有名な、あの梵鐘であった。豊臣家が再建していた大仏殿の梵鐘の銘文が徳川家康の家と康を分断して豊臣を君主とし(「国家安康」「君臣豊楽」の句)、家康及び徳川家を冒瀆するものだとかで大坂の陣による豊臣家滅亡を招いたとされる梵鐘だ。嗚呼、男の子達に混ざってじっくり見ればよかった…(T T)

 でもって隣の神社というのが、その豊臣秀吉を祀る豊国神社であった。秀吉逝去の翌年である慶長4年(1599年)、秀吉を「豊国大明神」として祀る神社として創建されたが、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後は徳川幕府の命により廃祀。以後250年間放置されていたが、明治元年(1868年)に明治天皇の命により再興されたそうな。
 国宝である豪華絢爛な唐門は元々伏見城の城門だったそうで、伏見城廃城後に二条城へと移され、その後南禅寺の金地院へ、そして最後に豊国神社へと移されたのだとか。西本願寺、大徳寺の唐門と合わせて「国宝の三唐門」と呼ばれているらしい。
 さて、なかなか味のある御朱印だが、この銘は豊国神社に伝わる秀吉の関白印の銘だそうで、印は中央に関白とあり、周囲に「壽比南山・福如東海」とあるそうな。南山は唐の都・長安の南にあった終南山のことで、天の中心にある太一星の精霊が住むという霊験あらたかな山であり、東海は仙人が住むといわれる蓬莱山のある場所だということで、「寿命も福も共に仙人と同じように永く多かれ」ということなのだとか。
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 No.88 豊国神社 「壽比南山 関白 福如東海」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-29 22:30 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 新日吉神宮  旧府社
 祭神:後白河天皇、新日吉七柱(大山咋命、大己貴命 他)
 創建:永暦元年(1160年)  
 所在地:京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
 新日吉神宮HP: http://www.imahie.com/

 智積院を出ると奥の方に何やら立派そうな神社があったので寄ってみた。新日吉神宮(いまひえじんぐう)という神社であった。よ、読めない…。
 後白河上皇が院の御所を法住寺に定めた際、皇居の守護神として比叡山東坂本の日吉大社を勧請し、永暦元年(1160年)京都・東山の麓に「新しい日吉神社(新日吉神宮)」を創建したらしい。その後社地を転々とし、現在の社地となったのは豊国廟が再興された明治30年(1897年) になってからのことだそうな。昭和33年(1958年)に後白河天皇を合祀し、翌昭和34年(1959年)天皇奉祀神社として神宮号を公許されたのだとか。
 京都の寺社の歴史には必ずといっていいほど有名人(というか、誰もが知る歴史上の人物)が絡んでいるから、訪れるだけでも感動してしまう。そこが京都の魅力なんだろうね。地方にも由緒ある寺社は数多くあるが、歴史的魅力にはどうしても欠けている。おらが町・岡山にも立派な寺社はあるけれど、その多くが報恩大師という方の創建らしい(備前48ヶ寺開基とされる)。報恩大師って誰!?
 あいにく宮司さんが不在だったので、書置きの御朱印に日付を書き入れていただいた。
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 No.86 新日吉神宮 「新日吉神宮」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-27 04:31 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 岡﨑神社  旧郷社
 祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子神
 創建:延暦13年(794年)  
 所在地:京都府京都市左京区岡崎東天王町51
 岡﨑神社HP: http://www.okazakijinja.jp/

 金戒光明寺の南門を出て石段を下り、細い脇道を抜けるとすぐ横に、そこそこ歴史のありそうな神社があったので寄ってみた。岡﨑神社というらしい。 
 延暦13年(794年)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つで、都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称したそうな。清和天皇が貞観11年(869年)に社殿を造営、元応元年(1319年)には後醍醐天皇が再建し、更に享徳元年(1452年)には足利義政により修造されたという。そこそこどころか、めっちゃ歴史のある神社やん (゚д゚) wao !! 
 かつては背後の紫雲山を始め境内一帯が野うさぎの生息地だったらしく、うさぎは氏神様の神使いと伝えられ、境内のあちこちにうさぎの彫刻がある。子授けうさぎに狛うさぎ、招きうさぎまで…。でもって御朱印にも当然うさぎ。如何にも女子が好きそうな神社であった。
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 No.84 岡﨑神社 「東天王」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-15 23:54 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 平安神宮  官幣大社、勅祭社、別表神社
 祭神:桓武天皇、孝明天皇
 創建:明治28年(1895年)3月15日  
 所在地:京都府京都市左京区岡崎西天王町97
 平安神宮HP: http://www.heianjingu.or.jp/

 平安遷都1100年を記念して、遷都を行った桓武天皇を祭神(後に平安京最後の天皇である孝明天皇も合祀)として明治28年(1895年)に創建されたという平安神宮。ここも過去に参拝したことはあるが、御朱印はまだいただいてないので約1年半ぶりに再拝。
 歴史好きとしてはあまり興味をそそられないが(一応、平安時代の建物を模しているけどね)、柱の朱色と屋根の緑のコントラストが実に美しい。平安人の色彩感覚の素晴らしさよ――と感動したもののWikiさん曰く、どうやら近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されているらしい。あらま。それでもやっぱり見事やねえ。
 個人的にはお寺が好きなのだが、神社に参拝すると何となく気が引き締まるのは日本人だからなのだろうか。
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 No.80 平安神宮 「平安神宮」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-14 05:21 | 京都府・神社 | Comments(0)