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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

<   2015年 06月 ( 14 )   > この月の画像一覧

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 宝福寺 (宝福禅寺)  臨済宗東福寺派 中本山 
 山号:井山  本尊:虚空蔵菩薩
 創建:不詳  開基:日輪
 所在地:岡山県総社市井尻野1968
 宝福寺HP:http://iyama-hofukuji.jp/
 かつては吉備国の中心地域として栄え、今なお数多くの遺跡や史跡を残す町・総社。続いて向かった先は、画僧雪舟が少年時代に修行した禅寺・宝福寺だ。
 創建年代は不明だそうだが、日輪を始祖とする天台宗の古刺であったものを、貞永元年(1232年)に当時の住職であった鈍庵和尚が新しく伽藍を建立し、天台宗から臨済宗へと改宗したそうな。四条天皇の病気平癒を祈願し、天皇が平癒したことにより寺院は天皇の勅願寺となって発展したらしい。改宗時には七堂伽藍(禅宗寺院における七堂は他宗とは若干異なり、山門・仏殿・法堂・庫裏・僧堂(禅堂)・浴室・東司の七つ)の偉容を整えた寺院となり、一時は臨済宗布教の拠点として塔頭子院55、山外末寺300余を数えるほどの巨刹となり隆盛を誇ったという。
 今でも田舎の山奥のお寺にしては随分と立派なお寺である。禅寺特有の凛とした佇まいが非常に好ましい。ここ最近になって御朱印巡りを始めるまで、そこらの山々の存在の意味なんて考えもしなかったものだが、山の中にはこういう名刹が昔も今も変わることなくひっそりと息衝いているんだなぁ…と一人感慨に浸る私の回りでは、総社市主催の吉備再発見写生大会に参加している子供達がのろのろと絵筆を走らせていた。
 庫裏のインターホンを押すと、出てこられたのは作務衣姿の女性だった。嗚呼、格好いいなぁ…私もこんな静かな山寺で修行してみたい(絶対無理だけど)。御朱印をお願いすると快く引き受けてくださり、御朱印帳を手に取ると奥に引っ込まれた。待つこと暫し。持ってこられたのは男性の方だった。南無…南無…南無なんて書いてあるのだろう?仏教知識ほぼゼロの私には何と書かれているのか分からなかったが、そのまま御礼を述べて庫裏を出た。うーん、ちゃんと尋ねておけばよかった。
 かなり見ごたえのあるお寺だったので、またいつの日か再訪してみようと思う。その時には勇気を出して何と書かれているのか尋ねてみようっと。
 駐車場に戻る前、すぐ近くにあったお寺にも寄ってみたのだが何やら法要中のようだったので門前で引き返した。次に目指すは般若寺だ!御朱印がいただけるお寺だということは前夜ネットで確認済だし、ちゃんと地図も印刷して持参している。地図を見ながら車を走らせるも、何故かどんどん田んぼ道へ。迷いながらやっと到着したかと思いきや、看板も駐車場もない小さなお寺であった。ん!? 本当にここ!? 恐る恐る敷地に入り、家の方に声を掛けてみたが、御朱印なんてないとのこと。ま…まぁそうでしょうね。せっかくなので記念に写真を1枚だけ撮ってすごすごと退散。帰宅後よくよく確認してみたら、般若寺ではなくて般若院、それも宝福寺のすぐ近くにあったらしい。――あッ!駐車場に戻る前にふらりと寄ったあのお寺だったのか!くーッ、なんてこったい!! (゚д゚lll)
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No.23 井山 宝福寺 「南無なんとか (虚空蔵?…読めません)」 2015-05-17(Sun) ※「南無虚空蔵」

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by yan-puchi | 2015-06-30 01:55 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 最上稲荷 (最上稲荷山妙教寺)  日蓮宗 
 山号:最上稲荷山  本尊:久遠実成本師釈迦牟尼仏、最上位経王大菩薩
 創建:天平勝宝4年(752年)  開基:報恩大師
 所在地:岡山県岡山市北区高松稲荷712
 最上稲荷HP:http://www.inari.ne.jp/

 中国観音霊場を幾つか回った翌日、今度は吉備路へ向かった。古代には筑紫、出雲、大和などと並ぶ有力な勢力の一つだったという吉備国には、全国4位の規模ながら立入自由の造山古墳や、田園風景に調和した備中国分寺の五重塔など往時の隆盛をしのばせる史跡が今なお多く残っている。 
 まず最初に参拝したのは岡山市北区にある、高さ27Mというベンガラ色のデカい大鳥居が聳え立つ最上稲荷。正式名称は最上稲荷山妙教寺というそうで、明治の神仏分離令の際、特別に神仏習合の祭祀形態が許された稲荷寺だ。開基はすっかりお馴染みの報恩大師
 天平勝宝4年(752年)、報恩大師のもとに孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、八畳岩の岩窟にこもって祈願を行い最上位経王大菩薩を感得、孝謙天皇は無事快癒したという。そして延暦4年(785年)、今度は桓武天皇が病気になってまたしても勅命が下り、大師が祈願したところこれまた病気は全快。喜んだ天皇は大師に堂宇建立を命じ、今の地に “龍王山神宮寺” を建立したそうだが、羽柴(豊臣)秀吉の備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇などが焼失。その後新たに領主となった花房公の庇護の下、寺名を “稲荷山妙教寺” と改めて慶長6年(1601年)に復興したそうな。
 日曜ではあったが朝10時前ということで参道沿いのお店も準備中のところが多く、参拝客も数えるほど。まぁ普段はこんなものだろう。これがお正月になると一転、芋の子を洗うような大混雑となる。
 薄暗い参道を抜けると真っ先に目に飛び込んでくるのが、違和感たっぷりの仁王門。神社でもお寺でもない不思議な建造物(いや、インドっぽい気はするので仏教的ではある)。その門をくぐって階段を上るとデカい本殿が目の前に。まずは本殿に参拝してから、隣の祈祷受付で御朱印をお願いした。御朱印帳を預けてだだっ広い境内を散策。とても数分で全ては回れないので今回は脇の山道を上り、秀吉が備中高松城攻略の軍議を行ったという古跡・一の丸の途上に建つ、備中高松城の守護神を祀っている妙見堂へお参りした。
 山道を下り、受付で預けていた御朱印帳を受け取った。お寺のような神社のような御朱印だ。ついでに売店に寄って洒落た御朱印帳を購入し、最上稲荷を後にした。
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 No.22 最上稲荷山 妙教寺 「妙法」 2015-05-17(Sun)
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by yan-puchi | 2015-06-27 03:56 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 法界院  真言宗 
 山号:金剛山  本尊:聖観世音菩薩
 創建:天平年間(749年頃)  開基:報恩大師
 札所:中国三十三観音霊場 第5番、百八観音霊場 第7番
 所在地:岡山県岡山市北区法界院6-1
 中国観音霊場HP:http://www.kannon.org/
 岡山県内に8ヶ所ある中国三十三観音霊場も、残すは第4番・第5番札所の2寺となった。第2番・第3番札所を参拝した帰りしな、岡山市北区にある第5番札所・法界院にも寄ってみた。
 以前、吉備津神社吉備津彦神社に参拝した帰りに寄ってみたものの、運悪く納経所が閉まっていた。今回はどうかな、と再訪してみるも、またしても閉まってる…(´;ω;`) 余程縁がないのかなぁと諦めて帰ろうとした時、納経所の窓が開いた!「神は死んだ」とニーチェは言ったが、いるね、神は。
 JR津山線で岡山駅の隣にある法界院駅というのは、勿論このお寺が駅名の由来となっている。岡山大学や岡山理科大学が近くにあるため学生が多い町というイメージがあるが、メイン道路から少し奥まったところにあるお寺なので、わりとひっそり建っている。
 創建はというと、中国観音霊場HPだと天平年間(729年頃)で、Wikiさんだと伝・天平元年(729年)、お寺でいただいたパンフレットには天平年間(749年頃)とある。まぁ8世紀に創建されたらしい。第2番・第3番札所に続き、またしても報恩大師によって開基されたとのことなのだが、この報恩大師ってお方は一体どれだけのお寺を岡山県内に開基したのだろう?(備前48ヶ寺を開基したとのこと)
お寺の御本尊である聖観音像は聖徳太子御作とも伝えられているそうな。
 納経所を開けて御朱印を書いてくださった奥様は京都の御出身だそうで、とても気さくに色々なお話をしてくださって楽しかった。御朱印帳が東寺で購入したものだったこともあり、話題は弘法さんに関することが多かった。毎月21日に行われる東寺の弘法市のことや、高野山に行くなら開創1200年記念の今年がおすすめだとか。今回奥様との会話で、御朱印巡りには当然ながら仏教の知識もある程度は必要であることを痛感したのであった。
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 No.21 金剛山 遍照寺 法界院 「大悲殿」 2015-05-16(Sat)
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by yan-puchi | 2015-06-26 04:23 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 餘慶寺  天台宗 
 山号:上寺山  本尊:千手観音
 創建:天平勝宝元年(749年)  開基:報恩大師
 札所:中国三十三観音霊場 第2番、百八観音霊場 第3番 他
 所在地:岡山県瀬戸内市邑久町北島1187
 餘慶寺HP:http://yokeiji.com/

 第3番札所・正樂寺の次に向かったのは、瀬戸内市邑久町にある第2番札所・餘慶寺(よけいじ)。地元民は親しみをこめて “上寺(うえてら)” と呼んでいる。このお寺も正樂寺同様、天平勝宝元年(749年)に報恩大師によって開山、当初は日待山日輪寺と称され備前48ヶ寺の一つとして栄えたという。平安時代に慈覚大師が再興して本覚寺と改め、更にその後、近衛天皇の勅願所となり上寺山餘慶寺と改められた。江戸時代には岡山藩主池田氏の庇護の下で栄え、最盛期には7院13坊を数えたらしい。現在も6院(恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院)が残っている。
 そんな上寺を訪れるのは、小学1年生の頃に秋の遠足で行って以来およそ40年ぶりのこと。おおッ、こんな立派なお寺だったんだ~。遠足で行った際、山道で転びかけた時にペアを組んでいた上級生のお兄さんが手を引いて助けてくれたことだけが上寺に関する唯一の思い出だっただけに、かなりの驚きをもって参拝した。
 御朱印をお願いしようと納経所に行くと、先にお遍路っぽい格好をした男性がいた。その方は何故か御朱印帳を5冊ほど持っていて、その全冊に書いていただいていた。あれは一体どういうことなんだろう?知人の分も頼まれたとか?
 隣接している豊原北島神社にも寄ってみたが、どなたもいらっしゃらないようだったので御朱印は諦めた。神仏習合が発展したのは平安時代の頃だそうだが、明治新政府が出した神仏分離令により神社と寺院はきっちりと区別させられることに。にもかかわらず時折こうして神仏習合の姿が残っているのを見ると、ちょっと嬉しい。
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 No.20 上寺山 餘慶寺 「大慈殿」 2015-05-16(Sat)

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by yan-puchi | 2015-06-23 05:06 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 正樂寺  高野山真言宗 準別格本山 
 山号:日光山  本尊:十一面観音
 創建:天平勝宝年間(749年 - 756年)  開基:報恩大師
 札所:中国三十三観音霊場 第3番、百八観音霊場 第4番
 所在地:岡山県備前市蕃山1305
 中国観音霊場HP:http://www.kannon.org/ 
 中国観音霊場(山陽・山陰の名刹古刹37ヶ寺)のうち岡山県にある札所は第1~第7番と特別霊場の8ヶ所で、第1・6・7番と特別霊場は既に参拝済のため、今回は備前市蕃山にある第3番札所・正樂寺へと車で向かった。
 お寺でいただいた独特の文体で綴られているパンフレットによると、正樂寺は天平勝宝年中(749~757年)に備前48ヶ寺の一つとして報恩大師が開基。その後、正安6年(1304年)に信賢上人が現在の地に建立したものであるらしい(当時は勝樂寺といった)。江戸時代には備前池田藩の祈願所となり、池田家代々の位牌が安置されているそうな。江戸時代の陽明学者・熊沢蕃山がこの地に隠居したことから、元は寺口村だったこの辺りの地名は蕃山村(しげやまむら)に改められたという。
 岡山市東区から備前市蕃山まで続く岡山ブルーラインをひた走り、午前8時から拝観可能ということで8時過ぎに到着したものの、納経所の窓は閉められたまま。ちと早すぎたか…かといって出直すのも大変だし、付近で時間を潰せる所もなし――と困っていると、普段着姿の男性を発見!一応声を掛けてみると、納経所にある呼鈴を鳴らすように言われ、慌てて引き返してそのとおりにすると先程の男性が普段着のまま出て来られた。御住職さんでしたか。
 恐縮しつつ御朱印帳を差し出し、「ここにお願いします」と由加神社の隣のページに頼んだ。ページを捲ると蓮台寺の御朱印が既に書かれてあるせいか、御住職が少々戸惑った風だったので、ここは正直に
「蓮台寺の御朱印をいただきに行ったんですけど、誤って先に由加神社の方に頼んでしまって…。お寺と神社の関係があまりよくなさそうだったので、1P空けて書いていただいたんです」と告げると、納得してくださったようだった。
 小雨がそぼ降る中での参拝であったが、風情があって実によかった。古刹には小雨が似合う。ただ、何やら修理中のようだったので、完成後にもう一度訪れたいと思う。
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 No.19 日光山 千手院 正樂寺 「大悲殿」 2015-05-16(Sat)
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by yan-puchi | 2015-06-22 03:40 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 宗忠神社  
 祭神:宗忠大神(教祖・黒住宗忠)
 創建:明治18年(1885年)  
 所在地:岡山県岡山市北区上中野1-3-10
 宗忠神社HP: http://www.munetada.jp/

 岡山市北区にある黒住教の教祖・黒住宗忠の生誕地にて教祖を祀る宗忠神社。地元では大元(おおもと)神社と呼ばれている。黒住教は同じ江戸時代末期に開かれた天理教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられるそうで、文久2年(1862年)に創建された京都の宗忠神社(神楽岡宗忠神社)は孝明天皇によって勅願所となり、皇室や公家から篤い崇敬を受けたという。岡山の宗忠神社(大元宗忠神社)は明治18年(1885年)の創建だそうな。 
 黒住教というのは、今村宮(宗忠神社から西へ歩いて数分のところにある神社)の神官だった黒住宗忠が文化11年(1814年)に開いた教派神道(神道系新宗教教団)で、神道十三派の一つであるらしい。何のことやらよく分からないけど。
 病で死を覚悟した宗忠さんがある朝、日の出を拝んでいると、天照大御神と一体になるという神秘的宗教体験をしたそうで(天命直授というそうな)、以来宗忠さんは世の中の苦しむ人や助けを求める人のために祈り、教え導き、やがて教祖と仰がれるようになったのだとか。
 うーん…黒住教を含む全宗教を否定する気は全くないが、というよりもむしろ宗教自体には興味津々なのであるが、どうも信仰する気にはなれないんだよなぁ。特にこういう新興宗教を信仰してらっしゃる方というのは、どういうきっかけで信じる気になったのだろう?
 無信心ながら御朱印だけはちゃっかりいただくという、何と罰当たりな!御朱印集めをすることで神罰が下りそう――って本末転倒やん。
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 No.18 宗忠神社 「大元宗忠神社」 2015-05-06(Wed)
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by yan-puchi | 2015-06-19 02:36 | 岡山県・神社 | Comments(0)
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 蓮台寺  真言宗御室派 別格本山 
 山号:由加山  本尊:十一面観音、瑜伽大権現
 創建:天平10年(738年)  開基:行基
 札所:中国三十三観音霊場 第6番、百八観音霊場 第8番
 所在地:岡山県倉敷市児島由加2855
 蓮台寺HP:http://yugasan.jp/ 
 由加神社本宮との対立を示す看板の前を通り、神社の隣にある第6番札所・蓮台寺へ。由来については由加神社と同じであるが、奈良時代に行基が瑜伽山だか由加山だかに一寺を開き、阿弥陀如来薬師如来の二尊を“瑜伽大権現” として祀ったのが蓮台寺の始まりだという。 
 平成10年に完成した総本殿に入ると、日本最大級の厄除け不動明王(火焔光&条帛は真っ赤で、明王は真っ青。何だか有難みに欠けるようだけど、仏教関連って派手な色彩のものも多いよね)が出迎えてくださる。
 早速蓮台寺で御朱印をお願いしようとするも、先に神社でいただいた御朱印の横に書いていただくのも悪い気がしたので、わざわざ1ページとばして依頼したものの、お寺の方が何故か前のページを捲って由加神社の御朱印を確認(?)したので、私のささやかな気遣いは全くの無駄になってしまった。うーん、何だかすみません。
 備前藩主・池田侯の祈願所となり、藩主自ら参拝していたというだけあってお寺自体は素晴らしく、池田の殿様が参拝の折に宿泊されたという客殿には、円山応挙の絶筆とされる「竹鶏の図」や、狩野探幽筆「七賢人図屏風」等の見事な襖絵とかもあったのだが、どうもお寺と神社の関係の方が気になっちゃって(^^;
 持ち帰ったパンフレットやそれぞれのホームページなどを改めて見てみると、両者が如何にいがみあっているかがよく分かる。たとえば
 「ご利益のある厄除け石段 表参道よりお参りしましょう!!」(由加神社 パンフレット)
 「児島・玉野市方面から蓮台寺へお参りの方は『表参道』の駐車場の前を通りますが、必ずそこは通りすぎて、お参りに最も近い蓮台寺駐車場までどうぞ」(蓮台寺 ホームページ)
 「この建物は葬式・法事殿 蓮台寺」(由加神社パンフレット 境内図) 
 「昨今、由加山蓮台寺境内駐車場並びに、周辺路上において、当由加山蓮台寺とは無関係の悪質な客引きや、案内をする者がいるという情報がございます。(案内に従うと、由加山蓮台寺とは無関係の場所へ連れて行かれることになります。)」(蓮台寺 ホームページ) 等々。
 どちらかといえば、蓮台寺側が由加神社に対して業を煮やしているように感じられる。両者間で何があったかなんて知ったこっちゃないが、これは流石にマズいんじゃないの!? 嗚呼、仏の慈悲もどこへやら…(´ヘ`;)
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 No.17 由加山 蓮台寺 「瑜伽殿」 2015-05-06(Wed)
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by yan-puchi | 2015-06-17 13:29 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 由加神社本宮  単立神社
 祭神:手置帆負命、彦狭知命、神直日神
 創建:天平5年(733年)  創祀:行基
 所在地:岡山県倉敷市児島由加山2852
 由加神社本宮HP: http://www.yugasan.or.jp/
 第7番札所・円通寺に続いては、一つ戻って第6番札所のある厄除けで有名な倉敷市児島の由加山へと車を走らせた。途中で道が分からなくなり、焦りながらも何とか由加山へ通じる道を見つけて山道を上っていくと、“表参道” 前の駐車場に辿り着いた。
 車を降りると正面に長~い石段と鳥居、そして「ご利益のある表参道入口」という看板があった。“6番札所は由加山” ということだけを頭に入れていたので、何とも思わずにただ石段の長さに辟易しつつぜぇぜぇと上りきったところに立派な建物があった。ほぉ、ここが第六番札所の由加山か。何も考えず参拝し、御朱印をいただいて帰ろうとしたところで奇妙な看板が目に入った。
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『瑜伽大権現蓮台寺ご参拝の方へ お知らせ

 平成9年3月3日、突然活動をはじめた由加神社は、由加大権現と文字を変えて権現さまの名称を使用していますが、この由加神社と

千三百年の歴史をもつ別格本山瑜伽大権現蓮台寺とは一切関係ありません

ご祈祷・お札・お守りを、お受けの際は間違いのないようにご注意ください』

 ええッ、何コレ!? どういうこと!? ショック
 どうやら今しがた参拝したのは由加神社本宮で、隣接しているお寺が第6番札所の蓮台寺らしい。成程、神社とお寺は別なのね。この看板に気付かなければ、勘違いしたまま帰るところだった。…ってそれにしてもこの刺々しい看板はどうなんだろう。相当いがみ合ってるんだろうなぁ。

 元々由加山は古来より巨岩を御神体(磐座信仰)として近郊の人々に崇められ、その後天平5年(733)に行基が十一面観音を祀ったことにより、神仏混淆の霊山として崇拝されるようになったという。桓武天皇をはじめ朝廷の祈願所として、また江戸時代には備前藩主池田侯の祈願所として年に三度は藩主自らご参拝していたそうな。
 明治時代になると神仏分離令によって由加神社と蓮台寺に分離され、由加神社は全国に末社52社を有する厄除けの総本山となった。また、由加山と讃岐国の金刀比羅宮を両方参拝すればご利益が沢山頂けるという「両参り」なる風習もあるのだとか。
 神仏分離令後も蓮台寺により一体的に運営されていたらしいが、平成9年(1997年)3月3日、由加神社が宗教法人としての独自活動を開始したことにより、蓮台寺と対立するようになったそうだ。
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 No.16 由加神社本宮 「由加宮」 2015-05-06(Wed)
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by yan-puchi | 2015-06-17 02:52 | 岡山県・神社 | Comments(0)
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 円通寺  曹洞宗 
 山号:補陀落山  本尊:聖観音菩薩
 創建:元禄11年(1698年)  開基:徳翁良高
 札所:中国三十三観音霊場 第7番、百八観音霊場 第9番 他
 所在地:岡山県倉敷市玉島柏島451
 中国観音霊場HP:http://www.kannon.org/ 
 地元で真っ先に御朱印をいただいた誕生寺西大寺は、それぞれ山陽・山陰の名刹古刹37ヶ寺を結ぶ中国観音霊場の特別霊場と第1番札所だそうで、ならば県内に8箇所ある札所を回ってみよう――と、倉敷市玉島にある第7番札所・円通寺へと車を走らせた。 
 円通寺は奈良時代、現在の倉敷市玉島の地に行基によって星浦観音の霊場が開創され、元禄11年(1698年)加賀国金沢の名刹・大乗寺の住職を退いた高僧徳翁良高禅師により曹洞宗寺院として開山されたそうな。
 ここは良寛和尚が若い頃に十数年間修行した寺として知られ、良寛さんが修行した僧堂は良寛堂として今も当時のまま残っている。良寛さんの辞世の句といえば、「散る桜 残る桜も 散る桜」。“今はどんなに美しく咲いている桜でも、いつかは必ず散っちゃうよ” という意味だが、限りある人生の中で今を如何に生きるか――。永遠も半ばを過ぎ、日々健康であることに感謝しながら、ひとつでも多くの寺社仏閣を見て回り、御朱印をいただきたいと切に願う。
 お寺もいいけど、何といってもここの見所は寺域一帯の円通寺公園と、眼前に広がる玉島湾や水島灘の眺望だ。
「岩のよろしさも良寛さまのおもいで」 自由律俳句で知られる俳人・種田山頭火が昭和11年に円通寺を訪れ、詠んだという句碑が公園内に建っていた。岩の多いお寺のその一つ一つに厳しい修行時代の良寛さんの面影を偲び、後年の遊戯三昧自在の境涯に入った真人良寛様を遠く拝んだ句なのだとか。
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 No.15 補陀落山 円通寺 「大悲殿」 2015-05-06(Wed)
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by yan-puchi | 2015-06-15 23:37 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 吉備津彦神社  備前国一宮、別表神社
 祭神:大吉備津彦命
 創建:不詳  創祀:不詳
 所在地:岡山県岡山市北区一宮1043
 吉備津彦神社HP: http://www.kibitsuhiko.or.jp/
 備中国一宮に続いては、東へ10分ほど原付で走った所にある備前国一宮・吉備津彦神社へも参拝。 
 吉備津彦神社は備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(巨大な盤座・盤境があり、古来より神の山として崇敬されてきた)の北東麓に東面して鎮座し、北西麓には備中国一宮・吉備津神社が鎮座する。主祭神は吉備津神社と同じく大吉備津彦命
 岡山といえばとにかく桃太郎。駅前には桃太郎一行の銅像が建ち、駅前の目抜き通りは桃太郎大通りと呼ばれ、夏には岡山市中心部各所で桃太郎まつりが行われる。町には桃太郎アリーナだの桃太郎温泉だのといった施設があちこちにあり、桃太郎ジーンズだの桃太郎トマトだのといった特産品まで…って桃太郎トマトは別に岡山とは関係ないか。もうとにかくうんざりするほど桃太郎なのである。
 そんなうんざり桃太郎、大和朝廷から派遣された大吉備津彦命が吉備の地を平定するに際して、渡来人として吉備の国に製鉄文化をもたらした温羅(うら)との戦いが桃太郎伝説のもとになっているのだとかなんとか。ちなみに古代邪馬台国の女王・卑弥呼は、大吉備津彦命(比古伊佐勢理毘古命)の姉である大倭迹々日百襲比賣命だともいわれているらしい。
 桃太郎の話は置いといてこの吉備津彦神社、戦国時代には宇喜多直家が崇敬し、高松城水攻めの際には羽柴秀吉も武運を祈願したと伝えられている。
 まことに失礼且つ罰当たりながら、これまで吉備津彦神社といえば吉備津神社のバッタものというか、おまけみたいなものだとばかり勝手に思っていたが、いやいやどうして、大変立派な神社であった。重々反省しておりますm(_ _)m
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 No.14 吉備津彦神社 「吉備津彦神社」 2015-05-01(Fri)


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by yan-puchi | 2015-06-11 22:58 | 岡山県・神社 | Comments(2)