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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

<   2015年 07月 ( 20 )   > この月の画像一覧

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 安仁神社  旧国幣中社、別表神社  
 祭神:五瀬命、稲氷命、御毛沼命
 創建:不詳  創祀:不詳
 所在地:岡山県岡山市東区西大寺一宮895
 安仁神社HP:http://anijinja.webcrow.jp/index.html
 牛窓で寺社巡りをした帰りに寄ったのは、岡山市東区にある安仁神社
 社伝では、神武東征の際に五瀬命が数年間この地に滞在し、神武天皇が即位後に五瀬命ら皇兄達(五瀬命→神武天皇の長兄、稲氷命→次兄、御毛沼命→三兄)をこの地に祀り「久方宮(ひさかたのみや)」と称したのが起源らしい。で、神武天皇の兄を祀っているので兄神社→安仁(あに)神社になったのだとか。元々はここが備前国一宮となるはずだったが、天慶2年(939年)の天慶の乱に安仁神社が藤原純友方に味方したため、一宮の地位を朝廷より剥奪されてしまったのだそうな。ちなみに安仁神社(岡山市東区西大寺一宮)に代って備前国一宮となったのは、朝廷に味方した備中国一宮である吉備津神社より、御霊代を分祀されて創建した吉備津彦神社(岡山市北区一宮)である。
 安仁神社へ続く道を車で走っていると、リュックを背負って歩く真っ黒に日焼けした5~60代の男性の姿が目に入った。周りには田んぼしかない田舎道なので、もしやこの方も神社に向かっているのかしらん?と思いつつも、さして気にせずそのまま追い越して神社に辿り着いた。
 駐車場に車を止め、のんびり歩いて二つの鳥居をくぐり、少々急な石段を上ったところに拝殿があった。参拝を済ませてから社務所へ伺うと、若い女性の方が応対してくださった。御朱印を書いていただく間に境内を見て回るよう勧められてうろうろしてみたが、どこからか聞こえる虫の羽音が怖すぎてほとんどロクに見ていない。初夏に来たのは失敗だった。
 御朱印をいただき帰ろうとしていたところで、先ほどのリュックおじさんが汗を拭き拭き石段を上ってこられた。
「駅からすぐだと聞いて歩いて来たけど、結構遠くて…」
ええッ!? ひょっとして西大寺駅から徒歩でここまで!? ま、マジですか…スゲェ (゚Д゚;)
嗚呼、だけどおじさんの姿は明日の我が身。今は近場の寺社を中心に車で回っているが、今後御朱印を求めて遠出するようになったら、やっぱり電車を使って駅から歩くことになるんだろうなぁ。御朱印巡りってホント、体力がいるのよね。もっと若いうちから始めとけばよかったと切に思う今日この頃であった。
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 No.43 安仁神社 「安仁神社 2015-06-15(Mon)
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by yan-puchi | 2015-07-31 17:33 | 岡山県・神社 | Comments(0)
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 遍明院 (弘法寺)  高野山真言宗  
 山号:千手山  本尊:五智如来
 創建:天智天皇元年(662年)  開基:天智天皇(勅願)
 札所:山陽花の寺二十四か寺 第15番
 所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町千手239
 県道28号線を車で走っていると、山々の緑の中にひときわ目立つ、やけに立派で真っ赤な山門が目に入る。昔からこの道を通る度に気になっていたのだが、どうやらこの山門は弘法寺というお寺のものらしい。弘法寺は天智天皇の勅命により天智天皇元年(662年)に建立されたそうだが、火災により衰退。天平年間(729年 - 749年)報恩大師が備前四十八ヶ寺の一つ、報恩山興法寺として再建し、その後空海が再興し千手観音を安置して以後、千手山弘法寺と称するようになったのだとか。昔は多くの塔頭があったようだが、明治8年(1875年)に4院に合併されたという。
 ところが昭和42年(1967年)の火災で主要建造物が焼失し、塔頭の1つ善集院も類焼して廃院。現在の塔頭は2院(本坊遍明院、東門坊東壽院)のみとなっているそうな。
 弘法寺の県道を隔てて向かいにある遍明院にふらりと寄ってみた。わりと新しい綺麗なお寺で、応対してくださった女性の方も感じがよく、いただいた御朱印も流麗な筆遣いでこれまた美しい。
 もう一つの東壽院もすぐ横にあったのだが、こちらはまたの機会にでも伺うことにして牛窓を後にした。
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 No.42 千手山 弘法寺 遍明院 「本尊 五智如来 2015-06-15(Mon)
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by yan-puchi | 2015-07-20 12:50 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 妙福寺 観音院 (東寺)  高野山真言宗  
 山号:海岸山  本尊:千手観音
 創建:延暦年間(782年~805年)  開基:報恩大師
 札所:瀬戸内三十三観音霊場 第6番
 所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2718
 本蓮寺を出て次なる目的地・瀬戸内三十三観音霊場 第6番札所・妙福寺へ向かって県道28号線を海沿いに進んでいくと(途中で行き止まりのようになって、住宅地の細い道を通り抜けると)、延宝年間(1673年~1681年)に瀬戸内海を行き来する公・私船の夜間航行用の標識として備前藩主・池田綱政の命により建てられたという牛窓燈籠堂がある。現在の燈籠堂は昭和63年(1988年)に復元されたものらしいけど。その燈籠堂の前に何やら立派な石段が。五香宮という神社だそうで、その五香宮の隣に妙福寺があるらしい。
 何でも神功皇后西国遠征の際、牛窓沖で牛鬼の難に逢って危いところを住吉大明神に救われたそうで、自ら親しく住吉宮(江戸時代に五香宮と改称)へ参拝し、武運長久、航海安全、安産等を祈願したという。そして帰還の際も再度牛窓の浦に上陸、家来の武内宿禰と共に住吉宮に参拝して戦勝に感謝して、自ら着用した鎧や冑、太刀、馬具、腹帯等を奉納されたのだとか。
 そんな由緒ある神社なのだが、現在はうっすらピンクがかったコンクリート塀に囲まれていて何となく気味が悪かった。五香宮のピンク塀に沿って歩いていくと、奥に見えるは妙福寺 観音院だ。金剛頂寺 真光院が通称 “西寺” なのに対し、こちらの妙福寺は “東寺” と呼ばれているそうな。このお寺も報恩大師開基の備前48ヶ寺の一つで、西寺と同じく本尊の千手観音は聖徳太子の彫刻と伝えられており、33年ごとの開扉らしい。
 訪問したのがお昼時だったにもかかわらず御朱印をお願いすると、御住職さんは快く応対してくださった。
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 そのうえポケットティッシュのお土産付き!
 牛窓のお寺は親切だね(^^)


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 No.41 海岸山 妙福寺 観音院 「千手観音 2015-06-15(Mon)
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by yan-puchi | 2015-07-16 05:26 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 本蓮寺  法華宗本門流  
 山号:経王山  本尊:宗祖奠定の大曼荼羅
 創建:正平2年(1347年)  開基:大覚
 所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3194
 牛窓町観光協会HP: http://www.ushimado.info/spot/detail.php?id=18

 牛窓神社を出て山道で多少迷いながらも何とか下り、次の目的地へ向かっていると「本蓮寺」と書かれた道路案内標識が目に留まった。お寺が出している看板ではなく、(たぶん)国土交通省なのだから、さぞかし立派なお寺に違いない。ヨットハーバーに車を止め、歩いてすぐのお寺に向かう。 
 この本蓮寺、中四国・九州においては最も古い法華宗のお寺なのだとか。正平2年(1347年)に京都・妙顕寺の座主であった大覚大僧正が西国弘通のためこの地を巡錫し、時の守護職・石原佐渡守の外護を得て法華堂(本堂)を建立したのが始まりらしい。江戸時代に朝鮮通信使が来日した際にはここの客殿が宿泊処になったとかで、朝鮮通信使遺跡 牛窓本蓮寺境内は国指定史跡だそうな。更に明応元年(1492年)に再建されたという本殿、同年建立の中門(四脚門)、その前後に建てられた番神堂(東祠、中祠、西祠)3棟も国指定重要文化財だというから素晴らしい。
 そんな立派で見応え十分なお寺であるにもかかわらず、(おそらく)国土交通省までもが案内標識を出してアピールしてくれているというのに、あのひっそりとした人知れず感たるや!そこがいいと思うものの、何だか勿体無い気もする。
 お寺の石段を下りて御朱印をいただきに行くと、あいにく御住職はご不在であった。不在時の連絡先が書かれてあったのでその番号に電話してみると、御朱印は後で郵送するから住所を書いてポストへ入れておいてとのこと。親切な住職さんだなぁ♪とペンを取り出して紙を探すも、こんな時にかぎって何もない。紙、紙、何か書けるものはないかしらん――とバッグの中を漁って見つかった唯一書けるものというのが、ガソリンスタンドでもらった小さなチラシ…。仕方がない、これの裏に書いておこう(めちゃくちゃ失礼だと思いつつも致し方ない)。チラシの裏に住所と名前を書き、御朱印代+切手代として500円を添えてポストに入れておいた。
 しばらく待ってみても届かなかったので、“やっぱりチラシ裏はなかったよなあ、失礼なことしちゃったな…” と諦めていたところ、御丁寧にもお寺のパンフレットまで添えて御朱印が送られてきた。
何ていいお寺なんだろう (TдT) 本蓮寺さん、本当に有難うございました。
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 No.40 経王山 本蓮寺 「南無妙法蓮華経 2015-06-15(Mon)

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by yan-puchi | 2015-07-14 12:48 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 牛窓神社  旧県社  
 祭神:応神天皇、神功皇后、武内宿禰命、比賣大神
 創建:長和年間(1012年~1016年)  
 所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2147
 岡山県神社庁HP: http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=08003
 山道を下っていると途中に牛窓神社の看板があったので、ちょっと寄ってみることに。
 原初の頃は土地の神霊及び氏の祖先の神霊を祀っていて牛窓明神と呼ばれていたそうだが、長和年間(1012年~1016年)、教円大徳によって豊前(大分県)の宇佐八幡宮から応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の御神霊をお迎えして牛窓八幡宮となり、後に牛窓神社と改称したらしい。
 緑溢れる参道を抜けてビックリ、こんな山中に古式床しい神社があったとは。拝殿・本殿ともに思わず見惚れてしまった。
 拝殿にレッツゴー三匹じゅんさんと原田伸郎さんがそれぞれTV番組のロケで訪問した時の写真が飾られていた。写真の色褪せ具合とお二人の微妙さがしっくりしすぎて、何ともいえない気分になった…。
そういえば倉敷児島の由加神社にも芸能人が参拝に来ましたとかいう写真が飾られてたっけ。向こうは高倉 健さんと長渕 剛さんだったけど。個人的には『乾杯』より『みかんの心ぼし』の方が好きだったなぁ(^^;
 御朱印をお願いすると、「書置きになりますけど…」とおっしゃりつつ取り出された御朱印のド迫力にこれまたビックリ。娘しか書けないけど今はちょっと出ていて…とか何とか言われていたような気がする(うろ覚え)。何というか味があって個性的ですごくいいとは思うけど、どうしてこういう風になっちゃったんだろう?まぁワイルドな御朱印は好みだけどね。隅の辛うじて字か書ける余白にちゃんと日付を入れてくださった心遣いが嬉しい。
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 No.39 牛窓神社 「牛窓神社 2015-06-15(Mon)
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by yan-puchi | 2015-07-14 03:45 | 岡山県・神社 | Comments(0)
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 金剛頂寺 真光院 (西寺)  高野山真言宗  
 山号:室谷山  本尊:十一面千手観音
 創建:天平勝宝年間(749年~757年)  開基:報恩大師
 札所:瀬戸内三十三観音霊場 第5番
 所在地:岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓4032
  “日本のエーゲ海” などと称している牛窓の寺社をいくつか回ってきた。まずは瀬戸内三十三観音霊場 第5番札所・金剛頂寺 真光院、通称 “西寺” へ参拝。
 このお寺も報恩大師開基の備前48ヶ寺の一つで、最盛期には堂塔9宇・塔頭11坊もあったそうだが、寛文6年(1666年)に備前藩による寛文の寺社整理により諸堂坊舎が残らず破壊されて廃寺となったらしい。しかし元禄9年(1696年)に高野山金剛頂院の院主・栄鏡上人の周旋により、千手山竹本坊より玄翁上人を中興第1世として迎えて再興したという。
 お寺のパンフレットによると本尊の十一面千手観世音菩薩像は「伝・聖徳太子御作なり」と書かれてあるが、瀬戸内三十三観音所巡りというパンフレットの方は「本尊千手観音は、十世紀後半の作」となっている。まぁどっちでもいいけどね。
 小高い山の上にあり、眼下に広がる瀬戸内の穏やかな海の眺めが実に素晴らしい。御朱印をいただこうとお寺にお邪魔するもインターホンがなく、玄関に置いてあった置き書きの御朱印とパンフレットを勝手にいただいて(勿論御朱印代は置いておきました)すごすごと退散。その節はどうもすみませんでした…m(_ _)m
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  No.38 室谷山 金剛頂寺 真光院 「千手観音 2015-06-15(Mon)
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by yan-puchi | 2015-07-14 02:01 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 今村宮  旧県社  
 祭神:天照大御神、八幡大神、春日大神
 創建:建武元年(1334年)  創祀:菖蒲正寿
 所在地:岡山県岡山市北区今4-3-5
 岡山県神社庁HP: http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01030
 黒住教の教祖・黒住宗忠の生誕地にて教祖を祀る宗忠神社から徒歩数分のところにこじんまりと建っている今村宮。教祖さんは黒住教を始めるまで今村宮の禰宜だったとか。
 創建は建武元年(1334年)、岡山市中心部の内山下榎馬場(現在の岡山県庁前)に奥州白川城主・菖蒲七郎左衛門の子・正寿が勧請したという。天照大御神、八幡大神、春日大神の三神を奉祀したので “三社明神” または “三社宮” と称し、約250年に亘って岡山市中心部の産土神として崇敬されたらしい。
 そして天正8年(1580年)に宇喜多直家が岡山城城郭を拡張するにあたり、付近の土地を整理・移転。そこで三社明神は現在の地(旧・今野村)に祀られていた八幡宮に遷宮され、二つの神社は合祀されて現在の今村宮となったそうな。
 岡山市民の初詣といえば最上稲荷吉備津神社が人気だけれど、私は毎年この神社に参拝しているため(初詣に限らず割とちょくちょく立寄る)、どうも有難みが薄いような…(^^; 
 そんな行き付けの神社(何という罰当たりな表現)であるが、御朱印がいただけるとは知らなかった。今回、改めて今村宮についてネットで調べてからじっくり参拝。元和9年(1623年)に再建されたという本殿の立派さに、今更ながら気付いたりして。鳥居の脇に掲げられている木製の定書もよく見ると微笑ましい。
 1.車馬ヲ乗リ入ル事
 1.魚鳥ヲ捕ル事
 1.竹木ヲ伐ル事
 右條々於境内令禁止者也   明治十六年六月九日  今村宮
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 No.37 今村宮 「今村宮 2015-06-10(Wed)

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by yan-puchi | 2015-07-13 12:27 | 岡山県・神社 | Comments(0)
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 玉比咩神社  旧村社  
 祭神:豊玉姫命
 創建:不詳  創祀:不詳
 所在地:岡山県玉野市玉5-1-17
 玉野市観光協会HP: http://tamanokankou.com/kankou/tamahime.htm
 岡山市内から日比観音院へ向かう途中に大きな神社があったので、帰りに寄ってみた。玉比咩(たまひめ)神社というらしい。 
 創建年代は不詳ながら、貞観5年(863年)太政官符所見の国内神明帳の一つである『備前国神名帳』に記載されていることから、遅くとも平安時代前期には建立されていたらしい。「海幸山幸」の話に登場する海の女神(龍宮の乙姫様)・豊玉姫命を祀っているという。が、それよりも境内地に鎮座する巨大な霊岩(磐座)そのものが御神体であるとともに御社なのだとか。
 玉比咩神社略記によると
「当神社境内に巨岩あり。口碑によれば古来より霊岩なりと尊崇し諸人之を玉石と称へしが中世に至りて立石と改称され崇拝せりと伝へられる。これ即ち神籬磐境(ひもろぎいわさか)の祭祀の形式にして当神社の起源なり」
 なるほど、神社の横にはデーンと巨大な岩が!この巨岩、上代において暗夜一大音響を発して割れたかと思うと3つの火の玉が飛び出し、1つは臥龍稲荷神社奥宮へ、1つは西大寺の観音様へ、そして残りの1つが牛窓へ飛び去っていったという。
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 上の写真だと小さすぎて分からないと思うが、臥龍稲荷神社奥宮というのは神社の背後の山・臥龍山の中腹にある奥宮のこと。せっかくなのでお参りしたかったが仕事前だったため、ここで体力を使い果たすのは躊躇われ、参拝は断念。
 玉野といえば造船の町(三井造船の創業の地。戦時中には艦艇を手がけ、現在でも自衛隊の艦艇を建造している)ということで、この神社の御守は陸上で組み上げられた新造船が始めて海に進水する時に使われる支え綱(支綱)が使われている。
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 No.36 玉比咩神社 「玉比咩神社 2015-06-10(Wed)

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by yan-puchi | 2015-07-12 20:22 | 岡山県・神社 | Comments(0)
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 観音院(日比観音院)  高野山真言宗  
 山号:與楽山  本尊:十一面観音
 創建:天平年間(729年~748年)  開基:行基
 札所:瀬戸内三十三観音霊場 第4番
 所在地:岡山県玉野市日比2-1-12
 瀬戸内三十三観音霊場巡りの第4番札所は、岡山県の南端・玉野市にある観音院だ。地元では “日比観音院” と呼ばれているそうだが、お寺の正式名称は與楽山 常光寺 観音院。昔は天神山 西福寺 医光院といったらしい。海を隔てて弘法大師誕生の地・讃岐が望見され、天平年間(729年~749年)に行基菩薩により海上交通の要衝であった日比港の止宿寺として開創されたそうな。というわけで今も海上保安を願う人々の参詣が多いという。かつては三方を海に囲まれていたとかで、日比の天神山という小山を境内地としている。
 御朱印を有難く頂戴したものの、読めないという…ホンマ、無知ですみません。 
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 No.35 與楽山 常光寺 観音院 「雲なんとか(…読めません)閣 2015-06-10(Wed)

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by yan-puchi | 2015-07-12 04:52 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 寶島寺  真言宗御室派 準別格本山  
 山号:矢上山  本尊:十一面観音
 創建:貞観元年(859年)  開基:理源大師
 札所:瀬戸内三十三観音霊場 第3番
 所在地:岡山県倉敷市連島町矢柄5633
 更に第3番札所・寶島寺(ほうとうじ)へと向かう。瀬戸内三十三観音霊場用の御朱印帳には “寶島寺” とあるが、いただいた御朱印には “宝嶋寺” と書かれているし、お寺の門には “寶嶋寺” と旧漢字の額が掛かっていたりして、どの表記が正しいのかよく分からなかったりする。 
 お寺に向けて車を走らせていると、何だか見覚えのあるバス停を発見。おおッ、1995年に発行された「VOW 7」に載っていたバス停「ヤットコ」! このお寺の近くだったのか…。
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 宝島寺は平安時代初期に創建され多くの塔頭や末寺を有する大寺だったそうだが、慶長年間(1596年~1615年)に殆ど焼失し、その後現在のように再建されたらしい。そんな中で室町時代初期に建てられた仁王門だけは難を逃れたそうな。
 また、江戸時代中期の悉曇学僧・寂厳が20余年間住職を務めたお寺としても知られているという。そもそも悉曇学(しったんがく)とは何ぞや?ブリタニカさん曰く、悉曇とはSiddhaṃの音写。完成したものの意で、サンスクリット語を表記する書体の一つ。グプタ文字の系統に属する書体で、4~5世紀頃インドで流行した。これが中国や日本に伝承され、単に書体だけでなく音韻、字義を含めた悉曇学として継承されたとのこと。へぇ、そんな学問熱心なお坊さんがいらしたお寺なのね。
 そういえば瀬戸内三十三観音所巡りのガイドには、“那須与一の矢を所蔵” とある。お寺の方に尋ねてみればよかったなぁ。
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 No.34 矢上山 宝島寺 「十一面観音 2015-06-09(Tue)

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by yan-puchi | 2015-07-11 01:04 | 岡山県・寺院 | Comments(0)