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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

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 豊国神社  別格官幣社、別表神社
 祭神:豊臣秀吉
 創建:慶長4年(1599年)  
 所在地:京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530 
 京都の街をふらふら歩いていると何やら塀があったので、塀に沿って進んでみると、修学旅行生と思しき男の子達が大きな鐘に群がっていた。多少気になったものの、男子生徒達はそこから離れる気配がなかったので、横目でちらりと見遣って隣にある神社へ向かった。
 後で知ったのだがこのお寺は方広寺といい、男子生徒達が群がっていた鐘は方広寺鐘銘事件で有名な、あの梵鐘であった。豊臣家が再建していた大仏殿の梵鐘の銘文が徳川家康の家と康を分断して豊臣を君主とし(「国家安康」「君臣豊楽」の句)、家康及び徳川家を冒瀆するものだとかで大坂の陣による豊臣家滅亡を招いたとされる梵鐘だ。嗚呼、男の子達に混ざってじっくり見ればよかった…(T T)

 でもって隣の神社というのが、その豊臣秀吉を祀る豊国神社であった。秀吉逝去の翌年である慶長4年(1599年)、秀吉を「豊国大明神」として祀る神社として創建されたが、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後は徳川幕府の命により廃祀。以後250年間放置されていたが、明治元年(1868年)に明治天皇の命により再興されたそうな。
 国宝である豪華絢爛な唐門は元々伏見城の城門だったそうで、伏見城廃城後に二条城へと移され、その後南禅寺の金地院へ、そして最後に豊国神社へと移されたのだとか。西本願寺、大徳寺の唐門と合わせて「国宝の三唐門」と呼ばれているらしい。
 さて、なかなか味のある御朱印だが、この銘は豊国神社に伝わる秀吉の関白印の銘だそうで、印は中央に関白とあり、周囲に「壽比南山・福如東海」とあるそうな。南山は唐の都・長安の南にあった終南山のことで、天の中心にある太一星の精霊が住むという霊験あらたかな山であり、東海は仙人が住むといわれる蓬莱山のある場所だということで、「寿命も福も共に仙人と同じように永く多かれ」ということなのだとか。
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 No.88 豊国神社 「壽比南山 関白 福如東海」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-29 22:30 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 妙法院門跡   天台宗
 山号:南叡山  本尊:普賢菩薩
 創建:平安時代初期  開基:最澄
 所在地:京都府京都市東山区妙法院前側町447 
 智積院の隣に何やら格式高そうな寺院があったので、恐る恐る入ってみた。妙法院門跡というお寺だそうで、青蓮院、三千院と並ぶ天台宗の三門跡寺院の一つらしい。千体千手観音立像に度肝を抜かれる三十三間堂(蓮華王院)は、ここ妙法院所管の仏堂なのだとか。
 Wikiさんによると、天台宗の他の門跡寺院同様、妙法院は比叡山上にあった坊(小寺院)がその起源とされ、初代門主は天台宗の開祖・最澄らしい。平安時代末期(12世紀)の後白河法皇の時代に洛中に移転し、その後法住寺殿跡地に移転したそうな。
 国宝である庫裏は桃山時代の建築だそうで、豊臣秀吉が千僧供養を行った際、千人もの僧の食事を準備した台所らしい。外から内部を覗くと、ごっつい梁が見えた。
 更に境内を見て回ると宸殿の前に案内板があったので、何の気なしに読んでビックリ!文久3年(1863年)に起こった八月十八日の政変で、堺町御門の警備を免ぜられて御所に入れなくなった長州藩と、三条実美ら長州派の公卿7人が今後どうするかを話し合った場所というのが、ここ妙法院の宸殿だという。所謂七卿落ちの舞台である。
 昭和61年(1986年)の年末に放送された年末時代劇ドラマ「白虎隊」を見て日本史にどっぷりハマってしまったため、未だに幕末の偉人といえばこのドラマで演じた役者さんと重ねてしまうクセがある。八月十八日の政変を思い浮かべれば、どうしても私の中では会津藩主で京都守護職の松平容保風間杜夫さんであり、中川宮松山英太郎さん、三条実美は堀内正美さんになってしまうのである。あの堀内さんらが150年ほど前にここで話し合ったのか…。
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 No.87 妙法院門跡 「本尊 普賢尊」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-28 05:33 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 新日吉神宮  旧府社
 祭神:後白河天皇、新日吉七柱(大山咋命、大己貴命 他)
 創建:永暦元年(1160年)  
 所在地:京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
 新日吉神宮HP: http://www.imahie.com/

 智積院を出ると奥の方に何やら立派そうな神社があったので寄ってみた。新日吉神宮(いまひえじんぐう)という神社であった。よ、読めない…。
 後白河上皇が院の御所を法住寺に定めた際、皇居の守護神として比叡山東坂本の日吉大社を勧請し、永暦元年(1160年)京都・東山の麓に「新しい日吉神社(新日吉神宮)」を創建したらしい。その後社地を転々とし、現在の社地となったのは豊国廟が再興された明治30年(1897年) になってからのことだそうな。昭和33年(1958年)に後白河天皇を合祀し、翌昭和34年(1959年)天皇奉祀神社として神宮号を公許されたのだとか。
 京都の寺社の歴史には必ずといっていいほど有名人(というか、誰もが知る歴史上の人物)が絡んでいるから、訪れるだけでも感動してしまう。そこが京都の魅力なんだろうね。地方にも由緒ある寺社は数多くあるが、歴史的魅力にはどうしても欠けている。おらが町・岡山にも立派な寺社はあるけれど、その多くが報恩大師という方の創建らしい(備前48ヶ寺開基とされる)。報恩大師って誰!?
 あいにく宮司さんが不在だったので、書置きの御朱印に日付を書き入れていただいた。
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 No.86 新日吉神宮 「新日吉神宮」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-27 04:31 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 智積院 (五百佛山根来寺智積院)  真言宗智山派総本山
 山号:五百佛山  本尊:大日如来
 創建:慶長3年(1598年)  開基:玄宥
 札所:真言宗十八本山 第7番、京都十三仏霊場 第1番、近畿三十六不動霊場 第20番 他
 所在地:京都府京都市東山区東瓦町964
 智積院HP: http://www.chisan.or.jp/
 せっかく京都市内の鉄道・バスが2日間乗降自由のフリーきっぷを持っているというのに、ひたすら歩いてばかり。もっと活用しなきゃ…と京都駅方面へ向かうバスに乗ってはみたものの、さて次はどこのお寺に行こうかしらん――。とバスに揺られつつ思案していて、ふと朝いち目にしたデカいお寺を思い出したので行ってみることに。
 真言宗智山派総本山・智積院五百佛山根来寺智積院が正式名だそうな。智積院はもともと紀州根来山大伝法院(根来寺)の塔頭だったが、豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来寺焼き討ちにより全山炎上。智積院住職・玄宥は、根来攻めの始まる前に弟子達を引き連れて高野山に逃れたらしい。関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)に徳川家康が東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を玄宥に与えて、智積院が復興。さらに元和元年(1615年)に豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大したのだとか。ちなみに祥雲寺というのは、豊臣秀吉が幼くして亡くなった長男・鶴松の菩提のため建立した寺だそうな。
 総門をくぐり総合受付で御朱印を書いていただいていると、受付の方が「春の東山 三ヶ寺めぐり」の説明をしてくださった。3月14日から5月8日までの間は、東山南部地域の本山三ヶ寺(真言宗智山派総本山・智積院、真言宗泉涌派総本山・泉涌寺、臨済宗東福派大本山・東福寺)が1,000円で拝観できるという。ええッ、そりゃお得やん。ならばその時また来て拝観しよっ♪ということで、今回は金堂だけ参拝してすごすごと退散した。
 祥雲寺の客殿を飾っていたという、長谷川等伯らの手による国宝の障壁画鑑賞は次の機会ということで。
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 No.85 五百佛山 根来寺 智積院 「大日如来」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-17 04:44 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 岡﨑神社  旧郷社
 祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子神
 創建:延暦13年(794年)  
 所在地:京都府京都市左京区岡崎東天王町51
 岡﨑神社HP: http://www.okazakijinja.jp/

 金戒光明寺の南門を出て石段を下り、細い脇道を抜けるとすぐ横に、そこそこ歴史のありそうな神社があったので寄ってみた。岡﨑神社というらしい。 
 延暦13年(794年)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つで、都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称したそうな。清和天皇が貞観11年(869年)に社殿を造営、元応元年(1319年)には後醍醐天皇が再建し、更に享徳元年(1452年)には足利義政により修造されたという。そこそこどころか、めっちゃ歴史のある神社やん (゚д゚) wao !! 
 かつては背後の紫雲山を始め境内一帯が野うさぎの生息地だったらしく、うさぎは氏神様の神使いと伝えられ、境内のあちこちにうさぎの彫刻がある。子授けうさぎに狛うさぎ、招きうさぎまで…。でもって御朱印にも当然うさぎ。如何にも女子が好きそうな神社であった。
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 No.84 岡﨑神社 「東天王」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-15 23:54 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 金戒光明寺  浄土宗大本山
 山号:紫雲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第24番、洛陽三十三所観音霊場 第6番
 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121
 金戒光明寺HP: http://www.kurodani.jp/
e0342766_15571953.jpg 近年、くろ谷さんで最も有名且つ人気の仏様といえば、“アフロ地蔵”こと五劫思惟阿弥陀仏像だろう。お寺側もシールまで作ってアピールしてるし。
 阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だった時、一切の衆生救済のために五劫もの長い間、ただひたすら思惟をこらして修行をしたのだとか。五劫思惟の阿弥陀仏はその時の姿を表したものらしい。五劫とは時間の単位で、一劫とは「四十里立方(約160km)の巨大な岩に、天女が三年に一度(百年に一度という説あり)舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの時間」だそうで、その時間の5倍である五劫もの無限に近い時間を思惟に費やしているうちに髪が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となり、気が付けばアフロのようになっていたという。
散髪の時間はなくてもお食事はしっかりと取られていたようで、ひと安心!? 
 五劫思惟阿弥陀仏像は全国でも16体ほどしかみられないそうで、特に石仏は珍しいのだとか。

e0342766_15590808.jpg 五劫思惟阿弥陀如来像のある墓所の石段を上がっていくと、二代将軍徳川秀忠菩提のため寛永10年(1633年)に建立された立派な三重塔(文殊塔)がある。石段を上がる気力がなかったので墓所から眺めただけだったが、この塔の本尊であった文殊菩薩と脇侍像は、運慶作と伝えられているらしい。
 くろ谷さんでいただける御朱印は4種類あり、ここに紹介した3枚の他に、この文殊菩薩(中山文殊。中山宝幢寺の本尊だったが、応仁の乱の兵火によって廃寺となり、その後このお寺に遷座されたそうな)の御朱印もあった。4枚全て書いていただくのは何となく気が引けたので3枚に止めた次第だが、今思えば3枚も4枚も大した違いはなかったよね…(´・ω・`)
 墓所には(ごう。浅井長政お市の三女で、徳川秀忠正室にして三代将軍徳川家光の母)や春日局(家光の乳母)の供養塔や、会津藩殉難者墓地などもあったが、そちらはまた次の機会にお参りすることにし、朝から歩きどおしで棒のようになった足を引き摺りながら南門から退出した。
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 No.83 紫雲山 金戒光明寺 「五劫思惟」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-15 19:54 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 金戒光明寺  浄土宗大本山
 山号:紫雲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第24番、洛陽三十三所観音霊場 第6番
 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121
 金戒光明寺HP: http://www.kurodani.jp/
 金戒光明寺(通称:くろ谷さん)でいただいた2枚目の御朱印は、洛陽三十三所観音霊場の「吉備観音」。左上に“再興十周年”との記念朱印があるが、平成17年(2005年)に平成洛陽三十三所観音霊場会が再興されて昨年で10周年を迎えたそうで、平成28年4月14日までの間は各札所寺院で記念朱印がいただけるそうな。更に記念朱印を各寺で受けた公式朱印帖で満願を迎えたら、先着1,000名に“再興十周年記念 数珠ストラップ”を贈呈とのこと。嗚呼、数珠ストラップ欲しいなぁ。一週間ほどパートを休んで霊場巡りたーい!お遍路休暇とかあればいいのに… (´・ω・`)
 
 さて、この吉備観音というのは通称で千手観音像のことなのだが、遣唐使だった吉備真備が帰国の際に船が遭難しそうになり、「南無観世音菩薩」と唱えたところ難を免れたそうで、その時に唐より持ち帰った栴檀香木で行基に頼み観音像を刻んでもらったものらしい。ということで吉備真備に因んで吉備観音と呼ばれているそうな。ちなみにこの吉備真備と、神護景雲3年(769年)に起こった宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)で道鏡の政治的陰謀を阻止した和気清麻呂は、ごく一部の歴史好き岡山県民が胸中で誇る奈良時代の2大スターである。
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 No.82 紫雲山 金戒光明寺 「吉備観音」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-15 16:38 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 金戒光明寺  浄土宗大本山
 山号:紫雲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第24番、洛陽三十三所観音霊場 第6番
 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121
 金戒光明寺HP: http://www.kurodani.jp/
 新選組にどっぷりハマっていた学生時代、京都にある三つのお寺に行くのがささやかな夢だった。一つは壬生の屯所に近く、兵法調練場に使われたという壬生寺。一つは元治2年(1865年)から屯所を移転された西本願寺。そして残る一つが、新選組(当初は壬生浪士組)を預かって不逞浪士の取締まり等を任せてくれた京都守護職会津藩の本陣となった金戒光明寺だ。その夢は疾うの昔に叶えられたが、初めて訪れた時の感激は未だ忘れられず、何度訪れても胸が熱くなる。そんな金戒光明寺に、何年かぶりに再訪出来た。 
 以前は仏教に全く興味がなく、ただ歴史に登場するお寺ということでしか見なかったが、ここは浄土宗の開祖・法然が初めて草庵を結んだ、浄土宗最初のお寺だそうな。なので山門には後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があり、御朱印にも書かれている。この浄土真宗というのは「浄土の真なる宗」という意味で親鸞を開祖とする浄土真宗(浄土を顕かにする真実の教え)とは無関係とのこと。知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つだそうで、法然が入減する二日前に筆をとって弟子の勢観房源智に与えたという遺言書「一枚起請文」の原本はこのお寺にある。
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 No.81 紫雲山 金戒光明寺 「浄土真宗最初門」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-15 05:05 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 平安神宮  官幣大社、勅祭社、別表神社
 祭神:桓武天皇、孝明天皇
 創建:明治28年(1895年)3月15日  
 所在地:京都府京都市左京区岡崎西天王町97
 平安神宮HP: http://www.heianjingu.or.jp/

 平安遷都1100年を記念して、遷都を行った桓武天皇を祭神(後に平安京最後の天皇である孝明天皇も合祀)として明治28年(1895年)に創建されたという平安神宮。ここも過去に参拝したことはあるが、御朱印はまだいただいてないので約1年半ぶりに再拝。
 歴史好きとしてはあまり興味をそそられないが(一応、平安時代の建物を模しているけどね)、柱の朱色と屋根の緑のコントラストが実に美しい。平安人の色彩感覚の素晴らしさよ――と感動したもののWikiさん曰く、どうやら近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されているらしい。あらま。それでもやっぱり見事やねえ。
 個人的にはお寺が好きなのだが、神社に参拝すると何となく気が引き締まるのは日本人だからなのだろうか。
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 No.80 平安神宮 「平安神宮」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-14 05:21 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 南禅寺 (太平興国南禅禅寺)   臨済宗南禅寺派大本山
 山号:瑞龍山  本尊:釈迦牟尼仏
 創建:正応4 年(1291年)  開基:亀山法皇  開山:無関普門
 所在地:京都府京都市左京区南禅寺福地町86
 南禅寺HP: http://www.nanzen.net/
 京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつという、臨済宗南禅寺派大本山・五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺。文永元年(1264年)亀山天皇が禅林寺殿という離宮を造営し、その後東福寺第三世・無関普門に深く帰依して法皇となり、正応4 年(1291年)に離宮を施捨して禅寺としたのが南禅寺であるそうな。ここのお寺は以前に訪れたことがあるので、今回は御朱印をいただくために参拝してきた。

 「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両…」
歌舞伎「楼門五三桐」の「南禅寺山門の場」での石川五右衛門の名科白で知られる南禅寺の三門だが、実際には五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)に、藤堂高虎が大坂夏の陣の戦没者慰霊のために寄進建立したものだそうな。まッ、細けえこたぁいいんだよ。特別拝観料500円を払い、三門に上がってみた。
e0342766_15515778.jpg う~ん…。 ほどほどかな、ほどほどかな。
  冬の昼前は値打が然程ねえ。
  この楊ぱちの目からは、値100円、200円…。
 とは言い過ぎで、やはり三門の上からの眺めは気分よく、暫し五右衛門気分を満喫したのであった。
 ちなみに南禅寺三門は、知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門であるそうな。

 その後庫裡へと向かい、書置きの御朱印をいただいてすごすごとお寺を後にした。 I'll be back !!
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 No.79 瑞龍山 太平興国南禅禅寺 「金剛王宝殿」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-11 23:05 | 京都府・寺院 | Comments(0)