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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

<   2016年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

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 天寧寺  曹洞宗 
 山号:海雲山  本尊:釈迦牟尼仏
 創建:貞治6年(1367年)  開基:足利義詮  開山:普明国師
 所在地:広島県尾道市東土堂町17-29
 尾道 七佛めぐり公式HP: http://www.shichibutsu.com/
 尾道の市街地は古くからお寺の町として有名らしく、25の古寺を石畳の坂道で結ぶ全長約2kmの「古寺めぐりコース」というものがあり、七佛めぐりもそのコース内にあったりする。車が入れるような道はなく、坂や階段が多い石畳の細い路地をひたすら歩くしかないという。
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 承和年間(834 - 848年)慈覚大師の草創といわれている光明寺(画像上)や、貞和年間(1345 - 1349年)の頃に融海意観という方が開いたらしい宝土寺(画像下)などを見て回りながら、七佛めぐり第2のお寺・天寧寺を目指して細い路地をひたすら歩く。うーん、この季節に来たのはちょっと失敗だったかな…ι(´Д`υ) アヂヂー

 ハンカチが絞れるほど汗を吸ったところで、やっと天寧寺に到着。
 天寧寺は貞治6年(1367年)、室町幕府第2代将軍・足利義詮が父・尊氏の遺志を継いで工事を寄進し、普明国師を請して開山されたお寺なのだとか。創建当時は臨済宗で、東西三町にわたる七堂伽藍を配した大寺院だったそうな。その後、室町幕府滅亡と共に衰亡の一途を辿ったものの、元禄年間(1688 - 1704年)に三原宗光寺一雲椿道和尚によって再興され、曹洞宗に転宗したらしい。
 足利義詮が建立した国重文の三重塔(海雲塔)や、羅漢堂にズラリと並ぶ526体もの五百羅漢が有名なのであるが、暑さでボ~っとしていたのか全く見ていない。お寺の写真すら撮ってない。罰当たりなことに御朱印だけいただいて帰ったようだ――全く記憶にないのだけれど。
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(天寧寺の画像2点は「無料写真素材 おのみちや」さんより拝借しました)

 No.110 海雲山 天寧寺 「南無釈迦牟尼佛」 2016-07-16(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-26 22:29 | 広島県・寺院 | Comments(0)
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 持光寺  浄土宗西山禅林寺派 
 山号:日輪山  本尊:五劫思惟阿弥陀如来
 創建:承和年間(834 - 848年)  開基:慈覚大師
 所在地:広島県尾道市西土堂町9-2
 尾道 持光寺公式ブログ: http://jikouji1.blog.fc2.com/
 e0342766_15595717.jpg 文学の街、映画の街、坂の街・尾道を久々に訪れた。
20年程前に同僚と尾道ラーメンを食べに来て以来だ。今回もパート先の御朱印仲間さんと一緒に耕三寺を見て回り、時間に余裕があったので尾道に寄った次第。どうやら「尾道 七佛めぐり」というのがあるらしい。尾道駅前に車を駐め、いざ行かん!

 まず最初に向かったのは、尾道名物の一つ・延命門(石造りの山門)を有する持光寺。正式な名称は日輪山 五劫院 持光寺というらしい。
 持光寺は承和年間(834 - 848年)に慈覚大師が創建したお寺だと尾道七佛めぐり公式HPには書かれてあるが、パンフレットの方には伝教大師(最澄)の高弟・持光上人により草創されたとある。どっち?同一人物なの?当初は天台宗のお寺だったそうだが、永徳2年(1832年)浄土弘伝の沙門・善空頓了上人によって浄土宗の寺に改宗され、以来京都東山・禅林寺(永観堂)の末寺となったそうな。浄土弘伝の沙門とは、浄土宗の教えを広め伝えた修行僧ってな感じ。
 このお寺の御本尊は五劫思惟阿弥陀如来像。以前、京都の金戒光明寺でもお目にかかったアフロな仏様である。阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だった時、一切の衆生救済のために五劫もの長い間、ただひたすら思惟をこらして修行したら髪が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となり、気が付けばアフロのようになっていたという。
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(延命門の画像は「無料写真素材 おのみちや」さんより拝借しました)

 No.109 日輪山 五劫院 持光寺 「五劫思惟 阿弥陀如来」 2016-07-16(Sat)


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by yan-puchi | 2016-07-26 18:26 | 広島県・寺院 | Comments(0)
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 耕三寺  浄土真宗本願寺派 
 山号:潮聲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:昭和11年(1936年)  開基:金本耕三(耕三寺耕三)
 所在地:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
 耕三寺HP: http://www.kousanji.or.jp/
 瀬戸内海のある島に何だかスゴいお寺があると聞き、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を通って芸予諸島の一つ・生口島で異彩を放ちまくっている耕三寺に行ってきた。 
 一応は浄土真宗本願寺派のれっきとした寺院らしいのだが、お寺の案内板によると、耕三寺は昭和初期に特殊鋼管の会社を興して成功を収めた実業家・耕三寺耕三氏が母親の菩提追悼のために建てたものなのだとか。個人でこれを…( ゚д゚ ) マジデスカ!?
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 ド派手な山門を抜けて中門を潜り、右手の受付にて1,400円で入場券を購入。この日は夏蓮祭初日ということで、蓮がいっぱい。
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 入口と書かれた小屋でチケットを提示して、いよいよ入場。お寺というよりは完全にテーマパークといった感じ。この小屋で書置きの御朱印というか、小色紙をいただいた。浄土真宗は御朱印をやってないからね。

 “伽藍配置は、上・中・下3段からなる境内内を南北に貫く軸線を中心として、厳密な左右対称をとっており、全国にも例のない「耕三寺式伽藍配置」として高い評価を得ています。また、堂塔の内の15棟は「国登録有形文化財」の指定を受けています” (耕三寺HPより)
 伽藍配置って…。いや、確かにれっきとした寺院なのだから間違っちゃいないのだが、何だろう、この腑に落ちない感というか有り余る違和感は。建物はどれも立派で素晴らしくはあるのだけれど、そのどれもが日本各地の有名寺院の堂宇を模したもの(それもかなり忠実に)という、めっちゃスゴいんだけど何だかなぁ… (´・ω・`)
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 たとえばこの五重塔は奈良県室生寺の国宝・五重塔を模したものであるが、他にも一番上の画像の山門は京都御所・紫宸殿の御門と同じ様式であり、その奥の中門は法隆寺の西院伽藍(楼門)を模したもの。その下の画像の、蓮の奥に見える回廊(羅漢堂)もやはり法隆寺西院伽藍の回廊が原型らしい。
いずれも彩色や装飾などは耕三さんのアレンジが加えられている。
 他の堂宇も全てこんな感じで
・礼拝堂…京都の国宝・清水寺西門が原型らしい
・鼓楼・鐘楼…奈良・新薬師寺の鼓楼・鐘楼を原寸大に模した
・仏宝蔵…新薬師寺本堂が原型
・法宝蔵・僧宝蔵…大阪・四天王寺の金堂が原型
・孝養門…栃木・日光東照宮の陽明門を原寸大に模した
・至心殿・信楽殿…京都・法界寺の阿弥陀堂が原型
・本堂…京都宇治・平等院鳳凰堂が原型
・多宝塔…滋賀県の国宝・石山寺の多宝塔が原型
・銀龍閣…京都・慈照寺銀閣を模した
・八角円堂…奈良・法隆寺の夢殿が原型。1/2スケールで模している

 e0342766_21393569.jpgこれら有名寺院の堂宇もどき以外にも見所はたくさん。
 千仏洞地獄峡という、源信(恵心僧都)の「往生要集」が視覚で体感できる、地下約15Mに全長350Mにもなる隧道があったり、未来心の丘とかいう広さ5,000平方メートルにもおよぶ真っ白な大理石庭園があったり、潮聲閣という、耕三さんがお母さんの老後を慰めるために建てた、耕三寺の原点ともいえる和洋複合の大邸宅があったり。道路を挟んだ向かいには金剛館という美術展示館もあったりして。でもって最初の入口小屋&これらの場所に設置してある計5ヶ所のスタンプを台紙に集めると、最終チェックポイントの金剛館で記念の絵葉書がいただけるのだ♪ 
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 驚くべきことに、以前EXILEがここ耕三寺でPVを撮影したという。帰宅後、調べてみると “Eastern Boyz 'N' Eastern Girlz” という06年にリリースされた曲がそうであった。

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 No.108 潮聲山 耕三寺 「孝心」 2016-07-16(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-26 02:14 | 広島県・寺院 | Comments(0)
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 餘慶寺  天台宗 
 山号:上寺山  本尊:千手観音
 創建:天平勝宝元年(749年)  開基:報恩大師
 札所:中国三十三観音霊場 第2番、百八観音霊場 第3番 他
 所在地:岡山県瀬戸内市邑久町北島1187
 餘慶寺HP:http://yokeiji.com/

 上寺(うえてら)こと餘慶寺は以前参拝したことがあり、今回訪れたのは2度目。前回は中国三十三観音霊場 第2番札所の御朱印をいただいたので、今回は百八観音霊場 第3番札所のものを戴きに再訪した次第である。
e0342766_01200771.jpg  百八観音霊場というのは、中国観音霊場(第1番~第39番)、四国三十三観音霊場(第40番~第74番)、九州西国霊場(第75番~第108番)の3霊場が一緒になったもので、百八観音霊場の御朱印の特徴はというと、左上に押印された金印&花御影というお花のカードがいただけることである。納経料は500円(霊場の納経料300円+百八霊場の金印200円)と、ちょいとお高くなっている。まったく商売上手ですなぁ。
 餘慶寺さんで戴いた花御影は睡蓮であった。

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 No.107 上寺山 餘慶寺 「大慈殿」 2016-03-19(Sat)
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by yan-puchi | 2016-07-23 01:11 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 般若院  臨済宗東福寺派  
 山号:井山  本尊:千手観音
 創建:不詳
 札所:備中西国三十三所観音霊場 第25番 
 所在地:岡山県総社市井尻野1968-2 
 室町時代の画僧・雪舟が少年時代に修行した宝福寺は、元は天台宗の寺院であったが鎌倉時代の貞永元年(1232年)に鈍庵慧總により臨済宗に改宗されたそうな。改宗にあたって鈍庵は帰依した東福寺の開祖・円爾弁円の高弟・玉渓を迎え、玉渓はさらに当代屈指の名僧・無夢一清(東福寺第30世住持)を請じて、基礎を固めたという。こうして臨済宗布教の拠点となった宝福寺、一時は塔頭子院55、山外末寺300余を数えるほど隆盛を極めたそうだが、戦国時代に起こった備中兵乱で、三重塔など僅かな建物を残して全山焼失してしまったらしい。この三重塔に隣接して唯一残っている塔頭が、無夢一清を祖とする般若院だ。

 こぢんまりとした清閑なお寺であった……って、感想それだけ!? (´゚д゚` )
どうやら般若院は湯豆腐が有名らしく、精進料理を味わえるという。へぇ、またいつの日か行ってみようっと。
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 No.106 井山 般若院 「大悲殿」 2016-03-19(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-21 17:30 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 安養寺  高野山真言宗 
 山号:朝原山  本尊:兜跋毘沙門天
 創建:奈良時代  開基:報恩大師
 所在地:岡山県倉敷市浅原1573
 安養寺HP: http://www.geocities.jp/fukuyamao/anyouzi.html
 奈良時代、報恩大師が開山したという安養寺。報恩大師とは備前国に48ヶ寺を開基したという謎の坊さまで、この名前が出てくると、嗚呼、地元のお寺だなぁと思ってしまう。
 安養寺は倉敷市浅原という所にあるのだが、どうやら昔は朝原千坊と呼ばれた仏教聖地の本坊として栄えたらしい。
e0342766_05035474.jpg  写真だと小さく見えるが、山門に向かう101段の石段の上には思いのほかデカい毘沙門天像が!地元新聞社が毎年無料で発行している「吉備の国 寺社巡り」というガイドブックの解説によると、ここ備中福山は不老不死の妙薬を探索した徐福ゆかりの地として毘沙門天信仰が厚く、その縁で安養寺は毘沙門天を祀っているのだとか。うーん、徐福と毘沙門天の関係がよく分からないけど…。

 安養寺の見所は、成願堂という荘厳された祈りの場(ちょっと何言ってるか分からない)。一木彫りの等身大の毘沙門天像36体や、国指定重要文化財の兜跋毘沙門天像と吉祥天像などが無料で公開されている。参拝客を信頼してくれているのか、剥き出し(?)で展示されていて驚いた。
 
 源平盛衰記では鹿ケ谷の変で治承元年(1177年)、備前国に追放された藤原成親がここ安養寺に出家・受戒したと書かれているそうな。
 ちなみにこのお寺は倉敷七福神 毘沙門天本山とのこと(ちょっと何のことか分からない)。
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 No.105 浅原山 安養寺 「大毘沙門天王」 2016-03-19(Sat)
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by yan-puchi | 2016-07-21 06:49 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
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 龍安寺  臨済宗妙心寺派  世界遺産
 山号:大雲山  本尊:釈迦如来
 創建:宝徳2年(1450年)  開基:細川勝元  開山:義天玄承
 所在地:京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
 龍安寺HP: http://www.ryoanji.jp/top.html
 知恩院からスタートした今回の京都御朱印巡り旅、最後に回ったのはこれまた世界遺産に登録されている龍安寺だ。拝観受付が16:30までだったので、仁和寺からタクシーで向かって何とか間に合った。だがやはり時間ギリギリだったため、御朱印は書置きのもので…とのことだった。
 龍安寺は宝徳2年(1450年)、応仁の乱の東軍総大将として知られる室町幕府管領・細川勝元が創建した禅寺で、その応仁の乱で焼失したものの、勝元の子・細川政元によって明応8年(1499年)に再興されたのだそうな。
 御朱印にもデカデカと書かれてあるように、龍安寺といえば石庭――幅25M、奥行10Mほどの白砂の空間に大小15個の石を配置した枯山水庭園が有名だ。でもってこの石庭、どこから眺めても14個の石しか見えないという。どれどれ……。
およそ40年前、英国のエリザベス女王は来日時に石庭を見て絶賛されたそうだが、うーん… (´・ω・`)
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 本物よりも、石庭の模型の方に興味を持ってしまった。
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 もう一つ、龍安寺で有名なのが知足の蹲踞(つくばい)と呼ばれる手水鉢で、中央の水穴を「口」の字に見立て、四方の字と合わせて「吾唯足知(吾れ唯だ足ることを知る)」と読む。釈迦が説いた「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という「知足」の心を図案化したものだそうで、黄門様こと徳川光圀が寄進したのだとか。嗚呼、残念なことにうっかり見逃してしまった(><)
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 最後の拝観を終えて嵐電・龍安寺駅に向かって歩いていたつもりが、どうやら道を誤ったらしく、通りがかりのおじさんに尋ねてみたところ、「新幹線で帰るのなら嵐電よりJR花園駅まで行った方がいいよ」とのアドバイスをいただき、花園駅までの道順を教えてくださった。そういえばせっかく京都自由周遊区間JR線3日間乗り放題券があるのに、まだ一度もJRを利用してなかったっけ。おじさんに御礼を言い、花園駅へ向かうことに。途中にあった妙心寺に再び立寄り、北門→南門を抜けて花園駅に到着。JRで京都駅に。
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 京都駅地下で土産物を購入し、夕食(だし茶漬け、美味しゅうございました)を取った後に一服しようと地上へ出ると、AQUA FANTASY なる光と音楽が連動する音楽噴水というものをちょうどやっていたので、暫し鑑賞。

 今回の京都御朱印巡り旅では、2日間で25寺社(20寺5社)を回るという無茶をしてしまった。当然一つ一つの寺社をじっくり見て回る余裕などあろうはずもなく、随分と邪道な寺社巡りであった。重々反省しております m(_ _)m
 しかしこれだけ多くの寺社を見て回れたのは “歩くまち・京都フリーきっぷ(2日フリー版)” のおかげだ。鉄道5社、バス2社の路線が利用範囲内で乗降り自由という、観光客の強~い味方があってこそ可能な御朱印巡り旅であった。


 No.104 大雲山 龍安寺 「石庭」 2016-02-27(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-20 07:36 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 仁和寺  真言宗御室派総本山  世界遺産
 山号:大内山  本尊:阿弥陀如来
 創建:仁和4年(888年)  開基:宇多天皇
 札所:真言宗十八本山 第6番、京都十三仏霊場 第9番、 近畿三十六不動尊 第14番他
 所在地:京都府京都市右京区御室大内33
 仁和寺HP: http://www.ninnaji.or.jp/
 15時過ぎに妙心寺を出て、大慌てで嵐電に乗り込んだ。次の目的地は拝観受付が16時までの仁和寺だ!
4月には仁和寺の宿坊の元料理長が過酷な長時間労働で抑鬱状態になったとして、約4,253万円の支払いを命じられたというニュースもあったけど…。何はともあれ世界遺産のお寺(古都京都の文化財として登録されている、17寺社の一つ)だもの、一度は行ってみなきゃ。
 嵐電に乗り込んだはいいが、仁和寺へは妙心寺駅から一駅戻らなければならないのに、誤って逆方向行きに乗ってしまった。終点の北野白梅町駅で帷子ノ辻行きに乗り換えてUターン…嗚呼、痛恨のタイムロス。
 御室仁和寺駅から真っ直ぐ歩いていくと、立派な二王門が聳え立っている。仁和寺の二王門は知恩院三門、南禅寺三門と並ぶ京都三大門の一つらしい。
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 仁和寺は仁和2年(886年)に光孝天皇が建立を発願するも翌年崩御、次代の宇多天皇が先帝の遺志を継ぎ、仁和4年(888年)に完成させた。寺号は元号から取られ、仁和寺となったのだとか。その後、宇多天皇は出家し、仁和寺内に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」の別称があるそうな。なので御室派総本山なのね。以降、皇室出身者が代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ったそうなのだが、慶応3年(1867年)に純仁法親王が還俗したことにより宮門跡の歴史を終えたという。
 じっくり拝観する時間がなかったので、二王門を潜ってすぐ左手の受付にて御朱印のみお願いしたところ、拝観料なしで御殿に上がらせていただけた。勿論、入ってすぐの納経所に行っただけだけど。すみません、次回は必ずお金を払ってじっくり拝観させていただきますので。御朱印は何種類かあるらしいのだが、今回は一種類のみいただいた。
 その後早足で境内を見て回り、国宝の金堂へ。金堂前にも納経所があったが、残念ながら既に閉まっていた。うーん…当たり前だけど10分や20分そこらで見て回れるお寺じゃない!時間がないのが悔やまれた。
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 No.103 大内山 仁和寺 「旧御室御所」 2016-02-27(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-18 07:31 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 妙心寺  臨済宗妙心寺派大本山
 山号:正法山  本尊:釈迦如来
 創建:建武4年(1337年)  開基:花園法皇  開山:関山慧玄
 所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町64
 妙心寺HP: http://www.myoshinji.or.jp/
 後ろ髪を引かれる思いで広隆寺を後にし、再び嵐電本線に乗り込んだ。時刻は14:30、見たいお寺はあと3つ。広隆寺から近い順に回るか、遠い順に回るか…。太秦広隆寺駅の一つ先の帷子ノ辻駅で北野線に乗換え、結局拝観終了時間の早い順に見て回ることに決めた。というわけで、まずは日本にある臨済宗寺院約6,000ヶ寺のうち、約3,500ヶ寺を占めるという妙心寺派の大本山、妙心寺へ。地元岡山でお寺巡りをしていて “嗚呼、このお寺は凛として素敵だな” と感じる寺院は大抵臨済宗妙心寺派なので、前々から大本山である妙心寺には非常に興味と期待を持っていた。
 北総門に到着し、まずは写真を――といきたいところなのだが、待てども待てども人が途切れる気配がない。時間もないことだし、と諦めて見知らぬ方が写りこんだ写真をパチリ。門を潜ると、境内は夥しい塔頭寺院が林立する寺の町であった。流石は末寺3,500を持つ妙心寺派の大本山、スゴすぎる! 
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 春光院 … 豊臣政権三中老の1人、堀尾吉晴が創建 
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 退蔵院 … 初期水墨画の代表作である如拙筆の国宝「瓢鮎図」を所蔵 
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 大通院 … 豊臣秀吉の家臣・一柳直末が建立 
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 隣華院 … 賤ヶ岳の七本槍の一人、脇坂安治が創建 
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 麟祥院 … 春日局開基の菩提寺

 このような塔頭寺院が46院も建ち並んでいるというのだから、一日中ここにいても全ては見て回れないような気がする(が、通常拝観できるのは退蔵院桂春院大心院のみらしい)。この時は冬の特別拝観中ということで、
天球院 池田輝政の妹・天球院が創建)の狩野山楽山雪らが描いた方丈障壁画
玉鳳院 (花園天皇の離宮跡に建つ、山内最古の塔頭寺院)の狩野永真洞雲の方丈障壁画、関山慧玄を祀る山内最古の建物・微笑庵
霊雲院 (妙心寺四派の一つ、「霊雲派」の本庵。妙心寺二十五世・大休宗休禅師創建)の枯山水庭園
が公開されていたものの、時間がないので今回塔頭は全て泣く泣くスルー。

 妙心寺は建武4年(1337年)に花園法皇が自らの離宮を禅刹に改めて創建された、日本最大の禅寺だそうな。京都市民からは西の御所と呼ばれているのだとか。長~い参道を歩いていると、何人もの地元の方が自転車でスイスイ走り抜けて行く。境内がだだっ広すぎて、生活道路になっているようだ。
 そしてついに大本山・妙心寺に到着。仏殿や法堂、浴室などを外から眺めた後に拝観受付にてひとまず御朱印をいただき、続いて拝観料を払おうとしたところ、どうも案内に従って拝観しないといけないらしい。その案内が20分間隔だというではないか。法堂の天井に描かれている、狩野探幽が8年の歳月をかけて完成させたという雲龍図と、明智光秀の菩提を追善するために江戸時代に建立された、明智風呂と呼ばれる浴室をサッと見たいだけなのだが…。
 ここで時間を取られると残り2寺を回れないので、拝観は諦めた。いつかまた必ず戻ってくるぜ!I'll be back!
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 No.102 正法山 妙心寺 「釋迦如来」 2016-02-27(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-09 02:01 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 廣隆寺  真言宗系単立
 山号:蜂岡山  本尊:聖徳太子
 創建:推古天皇11年(603年)  開基:秦河勝
 札所:聖徳太子霊跡 第24番
 所在地:京都府京都市右京区太秦蜂岡町32 
 西院(さい)駅から京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)に乗り、太秦広隆寺駅で下車してすぐにある広隆寺へ。広隆寺は京都最古の寺院だそうで、平安京遷都以前から存在したという。
 広隆寺は数年前に京都在住のブログ仲間さんの案内で一度参拝したことがあるが、その時は霊宝殿に並ぶ数々の仏像のあまりの素晴しさに息を呑んだ。最も有名なのは国宝第1号(彫刻の部)の弥勒菩薩半跏思惟像なのだけど、他にも国宝や重要文化財の仏像がズラリと並んでいる。控えた照明に、誰もが言葉を失い静まり返る館内。外界とは完全に遮断された別世界であった。
 そして今回、霊宝殿へ向かう前に御朱印をお願いした。スタンプ御朱印だ。係の方が、このお寺の仏像は歴史があるということを力説されていた。
 霊宝殿の中で特に目を引くのは、3Mを越す不空羂索観音像と、これまた3M近い2体の千手観音像。特に不空羂索観音像の荘厳で美しい様は、私の貧困なボキャブラリーではとても表現出来ない見事さ!嗚呼、いつまでも眺めていたい…。

 広隆寺は聖徳太子建立七大寺の一つだそうで、日本書紀によると秦河勝が聖徳太子から仏像(弥勒菩薩)を賜り、それを本尊として建立したのが始まりなのだとか。その後、聖徳太子信仰の寺院となり、本尊も聖徳太子像になったらしい。
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 No.101 蜂岡山 廣隆寺 「弥勒菩薩」 2016-02-27(Sat)

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by yan-puchi | 2016-07-08 08:39 | 京都府・寺院 | Comments(0)