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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

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 賀茂別雷神社 (上賀茂神社)  名神大社、二十二社(上七社)、官幣大社、勅祭社、別表神社  世界遺産
 祭神:賀茂別雷大神
 創建:天武天皇7年(678年)  
 所在地:京都府京都市北区上賀茂本山339
 上賀茂神社HP: http://www.kamigamojinja.jp/

 1994年に世界遺産として登録された、点在する17か所の寺社と城郭で構成される古都京都の文化財。そのうちの一つである賀茂別雷神社、通称・上賀茂神社は京都で最も古い社だそうで、手元のパンフレットによると、神代の昔に本殿の北北西にある秀峰・神山に(賀茂別雷命が)降臨し、天武天皇7年(678年)に現在の社殿の基が整えられたそうな。 
 『延喜式』では名神大社に列し、のち山城国一宮として尊崇され、二十二社(上七社)の一社であり、明治16年(1883年)に勅祭社と定められ、明治以降終戦まで官幣大社として伊勢神宮に次ぐ全国神社の筆頭に位し、現在は神社本庁の別表神社である。これらはいずれも社格(神社の格式)のことで、まぁとにかく偉い神社らしい。
 偉い神社であるからして、境内はとにかく広い。あちこちフラフラと見て回り、デカい破魔矢が目を引く建物(楼門だっけ?)を潜って御朱印をいただいていると、「国宝・本殿特別参拝とご神宝の拝観」と書かれた看板が目に入った。 
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e0342766_15593533.jpg 特別参拝を申し込み、初穂料500円を納めると、浄掛(左の写真)を渡されるので首に掛けて直会殿へ。そこで神職の方から祭神誕生神話「賀茂神話」の説明並びに御祓いをしていただき、国宝の権殿、本殿にて参拝。その後、高倉殿に展示してあるご神宝を拝観。「信長禁制」や「秀吉朱印状」等が展示されていた。
 そして最後に式年遷宮に伴う檜皮屋根葺替に奉賛を…ということで、檜の皮を奉納し、お守りをいただいた。神社のHPを見ると奉賛金の額によってランクがあるようで、どうやら私は“協賛員”という一番下のランクらしい。もうちょい奮発していれば“普通会員”になれたみたいだが、上賀茂神社に参拝するのはおそらく今回が最初で最後になるだろうから、まぁいっか。
 地元の皆様、しっかり奉賛してくださいまし(^^)
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 No.123 賀茂別雷神社 「山城国一之宮 賀茂別雷神社」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-04-28 06:06 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 今宮神社  旧府社
 祭神:大己貴命、事代主命、奇稲田姫命
 創建:正暦5年(994年)  
 所在地:京都府京都市北区紫野今宮町21
 今宮神社HP: http://www.imamiyajinja.org/top/index.html

 大徳寺の広い山内を出て程近くの今宮神社へ。 
 どうやらここには平安建都(鳴くよウグイス平安京)より前から疫神を祀る社があったそうだが、平安京が栄える一方で度々疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会が営まれたらしい。正暦5年(994年)、ここの疫神を二基の神輿で船岡山に安置して悪疫退散を祈ったとかで、これが紫野御霊会であり、現在も続いているらしい今宮祭の起源なのだとか。そして長保3年(1001年)に疫神は船岡山から再びこの地に奉遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名付けられたという。

 「玉の輿」の語源という説もある、西陣の八百屋に生まれながら徳川3代将軍・家光の側室となり、5代将軍・綱吉の生母でもある桂昌院(お玉)と所縁があることから良縁祈願の参拝も多いのだとか。今宮神社名物「あぶり餅」は玉のようなお餅を食べて、お玉さんのような御利益をあやかろうとしたという言い伝えがあるらしい。何とここのあぶり餅屋さんは平安時代頃からある、日本最古の和菓子屋さんだそうな。嗚呼、食べ損ねた~(T T)
 
 初めて見開きの御朱印をいただき、天然石のストラップお守りも購入。玉の輿お守にも惹かれたのだが、今のところ離婚の予定はないので購入は見送った次第。まぁ将軍にはなれないけど、我が家の男達もそれぞれ私にとってはかけがえのない存在なのであーる。
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 No.122 今宮神社 「むらさきの 今宮神社」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-04-16 00:38 | 京都府・神社 | Comments(0)
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 高桐院  臨済宗大徳寺派  
 山号:なし  本尊:釈迦如来
 創建:慶長6年(1601年)  開基:細川忠興  開山:玉甫紹琮
 所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町73-1 
 大徳寺の数ある塔頭のうち、常時拝観可能なのは龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4ヶ院らしい。未だにスマホと親しめない私は「まっぷる 超詳細!京都さんぽ地図 mini '16」という本に頼って京都の寺社を巡っているのだが、あいにくその本には瑞峯院が載っていなかったため見向きもせず、高桐院を大徳寺最後の拝観寺院とした。いや、決して昭文社(発行元)のせいではなく、ロクに下調べもせずに行き当たりばったりで向かった私が100%悪いのである。お詫びにまっぷるリンク、インストールしました。←関係なくね!? e0342766_02015904.jpg

 高桐院は細川幽斎の長男・忠興によって建立され、開祖・玉甫紹琮は幽斎の弟、つまり忠興の叔父さんであるらしい。
 細川幽斎・忠興親子は当代一流の文化人、教養人であった。幽斎は二条流の歌道伝承者・三条西実枝から古今伝授を受けており、関ヶ原の戦いの際に後陽成天皇が勅命により幽斎を助けたのも、古今伝授が途絶える事を恐れたためだといわれる。
 息子の忠興は茶人としても、利休七哲の一人に数えられるほど。忠興の嫁は名前のインパクトで誰もが知っていると思われる細川ガラシャ
ガラシャは明智光秀の娘なのだが、光秀が本能寺の変を起こした後、細川親子を味方に誘ったものの彼らはあっさり拒否。これが光秀の滅亡を決定的にしたのだとか…。
 光秀さん贔屓の私は、細川親子が如何に文武両道に秀でた素晴しい武将であろうとも、あまり好きにはなれないのであーる。

 表門を抜けると、洒落た石畳の参道が。嗚呼、なんと美しき哉。細川さんの美意識(かどうかは知らないが)は流石である。これは認めざるを得ない。庭園も実に見事であった。だが、肝心の建物については何故か全く覚えてないという…。
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 最後の最後に立寄ったのは、豊臣秀吉織田信長の菩提のために建立したという総見院。但し通常非公開のため、写真だけ撮って大徳寺を後にした。
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 No.121 大徳寺塔頭 高桐院 「高桐院」 2016-12-19(Mon) 


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by yan-puchi | 2017-04-11 04:54 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 聚光院  臨済宗大徳寺派  
 山号:なし  本尊:釈迦如来
 創建:永禄9年(1566年)  開基:三好義継  開山:笑嶺宗訢
 所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町58 
 大徳寺塔頭の一つ、聚光院が創建450年記念特別公開中だったのでフラリと寄ってみた。時間毎のグループ拝観ということで、予約時間までの隙間繋ぎに訪れたのが前回の大仙院であったため、せっかくの名刹なのにじっくり拝観する間がなかった。大仙院に申し訳ない…。その分、聚光院はガイドさん付で心ゆくまでゆったり拝観させていただいた。
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  聚光院は永禄9年(1566年)に三好義継が養父・三好長慶の菩提を弔うために創建したそうで、院号は三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」から採られたものらしい。千利休が開祖・笑嶺和尚に参禅したことから、利休はここを菩提所とし、利休の流れを汲む茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所にもなっているのだとか。

 桃山時代に創建されたという本堂の障壁画46面は狩野永徳と父・松栄によって描かれており、全てが国宝指定だという。おお~ッ。何でも昭和54年(1979年)にルーブル美術館から『モナリザ』が来日した際、その返礼としてフランスで展示されたのが、この聚光院本堂の障壁画だったそうな。正直、あまり障壁画には興味がないのでうろ覚えだが、普段は高精度の複製なのだが(本物は京都国立博物館にある)、この時に展示されていたのは本物だったような気がする。いや、複製だったっけ…?まぁどちらにしろ見事な作品であった。個人的には永徳筆『琴棋書画図』が最も好みだった。

 狩野永徳が下絵を描き、千利休が整えたと伝わる方丈庭園「百積庭」、利休150回忌の寛保元年(1741年)に表千家7世・如心斎の寄進により建てられた茶室「閑穏席」、その70年後に建てられた茶室「桝床席」…。「閑穏席」は、かつては千利休自刃の席として伝えられていたそうだが(どうやら違うらしい)、息が詰まるような緊張感をひしひしと肌で感じる三畳の茶室であった。この茶室の漲る緊張感を体感できたのが今回一番の収穫だ。
 そして最後に見て回った書院は平成25年(2013年)秋に落慶したそうで、そこに納められていたのは、千住 博画伯によるド迫力の襖絵『滝』。構想から完成まで16年の歳月を費やしたという。鮮やかな群青から真っ白な滝が浮かび上がる姿は壮観で、息を呑む美しさである。但し和室に合うかは別問題ということで(^^;
(↓写真は創建450年記念特別公開パンフレットより) 
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  そういえば昔、SHARPのCMで千住画伯の滝の絵が使われていたような…。
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 No.120 大徳寺塔頭 聚光院 「本師釈迦如来」 2016-12-19(Mon)


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by yan-puchi | 2017-04-10 18:56 | 京都府・寺院 | Comments(0)