ブログトップ

御朱印集め 始めました

yanpuchi77.exblog.jp

主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

e0342766_17562232.jpg
 大徳寺  臨済宗大徳寺派大本山  
 山号:龍宝山  本尊:釈迦如来
 創建:正和4年(1315年)  開基:宗峰妙超(大燈国師)
 所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町53
 臨黄ネット 大徳寺: http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/
 今更ながら2017年も何卒宜しくお願い申し上げます m(_ _)m

 昨年末、3日間の休みを取って10ヶ月ぶりに京都へ行ってきた。内2日間は大学でスクーリングを受け、最後の一日だけのんびり御朱印巡りを楽しんだ♪
 先頃話題になったアパホテルに2泊し、チェックアウトを済ませてまず向かったのは、学校近くにあった臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺妙心寺の46院とまではいかないが、こちらも24院もの塔頭を有する大寺院である。
 大徳寺は正和4年(1315年)に宗峰妙超(大燈国師)によって創建されたが、応仁の乱で荒廃、それを「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ」の一休さんこと一休宗純によって復興したそうな。

 大徳寺最古の建造物の一つである三門は、一休さんの参徒で連歌師・宗長の寄進により一階を創建。その60年後に千利休によって二階が設けられて「金毛閣」と名付けられたものの、楼上に利休の木像を安置したことが豊臣秀吉の逆鱗に触れてしまい、利休切腹の一因となったという。
e0342766_17560880.jpg
 Wikiさんによると、“侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている” とのことで、学生時代に茶の湯を学んだ身としては、何だか懐かしい方達と久々に会えたような気分であった。

 重要文化財の金毛閣や国宝の唐門、方丈などは全て通常非公開のため、横目で眺めながら道を歩いていくと、宗務本所の看板を掲げた立派な建物が。御朱印をどこでいただけばよいのか尋ねようとインターホンを鳴らしたところ、書置きでよろしければこちらでお渡ししますとのこと。ということでとりあえず門は潜ったものの、庫裏が立派すぎて勝手に開けて入ってよいものなのかと暫し外でウロウロしていたら中から開けてくださり、無事御朱印をいただくことが出来た。
e0342766_17555364.jpg
e0342766_17554175.jpg
 
 No.117 龍宝山 大徳寺 「本朝無双禅苑」 2016-12-19(Mon)

[PR]
# by yan-puchi | 2017-02-01 23:35 | 京都府・寺院 | Comments(0)
e0342766_05574942.jpg
 薬師院  真言宗善通寺派  
 山号:瑠璃山  本尊:薬師如来
 創建:寛和年間(985年-987年)  開基:花山法皇
 札所:中国薬師霊場 第2番
 所在地:岡山県高梁市上谷町4100

 現存天守を持つ山城としては最も高い所にあるという備中松山城の城下町・高梁市。先日ご紹介した頼久寺もそうだし、今回取り上げる瑠璃山 泰立寺 薬師院もそうなのだが、高梁のお寺はどこも石垣がスゴいのであーる。いや、お寺だけではない。江戸時代後期に小泉銅山とローハ製造で巨大な財を成した広兼さん家の大邸宅・広兼邸も随分と立派な石垣があったっけ。
e0342766_06030981.jpg
e0342766_06034184.jpg
 この何だか立派すぎておどろおどろしい広兼邸で映画版「八つ墓村」のロケは行われたそうだが、ここ薬師院も「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」のロケ地らしい。御朱印を書いていただいている間に、“寅さんの撮影風景”と題されたファイルの写真をパラパラと見せていただいたが…すみません、全く興味ないです…m(_ _)m 
e0342766_05573740.jpg
 上2枚が広兼邸、下が薬師院だか隣の松連寺だかの写真なのだが、お城みたいな石垣でしょ。
(下のお寺の写真の方が何だか八つ墓村っぽいけど)
 いただいた御朱印に書かれている「醫王善逝」というのは、どうやら薬師如来のことらしい。薬師さんはいろんな呼び名があるみたいね。
e0342766_05564316.jpg
e0342766_05565263.jpg

No.116 瑠璃山 泰立寺 薬師院 「醫王善逝」 2016-11-2(Wed)

[PR]
# by yan-puchi | 2016-11-22 03:36 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
e0342766_03554343.jpg
 備中高梁 稲荷神社  
 祭神:稚産霊神、豊受姫神、倉稲大神
 創建:寛弘元年(1004年)  
 所在地:岡山県高梁市落合町近似117
 高梁 稲荷神社 宮司さんのBLOG: http://ameblo.jp/uccyida528197/
 成羽から高梁市市街地へ戻る途中で見つけた稲荷神社にふらりと寄ってみた。
 なんでも平安時代に花山上皇が備中国に滞在された際、この地に京都の伏見稲荷大社の御霊を勧進されたのが高梁稲荷神社の始まりらしい。戦国時代から歴代備中松山城主の崇敬が厚く、社殿の造営や寄進などが行われてきたそうな。
 宮司さんは不在だったが書置きの御朱印があったので、有難く1枚いただき、御朱印代を置いておいた。ついでに2016年版の「まいられぇ岡山 神社仏閣を巡る」ガイドブック(岡山県内の神社仏閣56社寺が掲載されている、山陽新聞社が毎年発行している無料のガイドブック。内容は毎年同じだけど…)も1冊頂戴してきた。
e0342766_03552348.jpg
e0342766_03553309.jpg

 No.115 高梁 稲荷神社 「備中高梁 稲荷神社」 2016-11-2(Wed)

[PR]
# by yan-puchi | 2016-11-14 04:37 | 岡山県・神社 | Comments(0)
e0342766_00491832.jpg
 龍泉寺  真言宗善通寺派  
 山号:栖隆山  本尊:聖観世音菩薩
 創建:天平4年(730年)  開基:行基
 札所:瀬戸内三十三観音霊場 第14番
 所在地:岡山県高梁市成羽町下原370

 瀬戸内三十三観音霊場 第14番札所・龍泉寺は高梁市成羽町にある真言宗善通寺派の寺院で、以前御紹介した岡山市北区下足守にある日蓮宗最上教の総本山・龍泉寺 (No.59)と同じ寺号で紛らわしいため、タイトルに(成羽町)と入れた次第であーる…どうでもいいけど。 
 この成羽の龍泉寺は天平4年(730年)に行基が開創したそうで、本尊の聖観世音菩薩は大同年間(806年 - 810年)に弘法大師が巡錫の時、彫刻安置したものなのだとか。

 尼子家再興のため「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったというドMな…もとい、智勇・忠義に優れた立派な武将として知られる山中鹿之介こと山中幸盛 終焉の地である阿井の渡しを通り過ぎ、国道313号をひた走って成羽町に入ると、道路沿いに鳥居があるのでそこを曲がる。うーん、道が狭い。この日はたまたま代車のeKワゴンで来ていたので助かったが。暫し進むと龍泉寺への車道があるのだが、これがまたエラく急な坂だったりする (゚Д゚;) 対向車が来ないことを真剣に祈りつつ急勾配の坂を上ると、いきなり龍泉寺の境内に辿り着いてしまった。
e0342766_02150487.jpg 山門前の石柱には「棲隆山 龍泉寺」とある。正式な山号はこっちなのかな。
 手前の木の枝が邪魔で左の写真だと見えにくいが、何故かデカいスピーカーが山門に取り付けられていた。一体何のために…?
 元亨4年(1324年)に建てられたという方柱碑や、灯篭が印象的な本堂などをぼ~っと眺めていると、奥様らしき方が声を掛けてくださったので御朱印をお願いしたところ、快く応じていただけた。
 境内の駐車場に何やらボタンがあり、帰る前には必ず押すようにと書かれてある。これを押すと坂の下に設置されているパトランプが光るようになっているらしい。
対向車に怯えることなく龍泉寺を後にしたのであった。
e0342766_00484620.jpg

 No.114 栖隆山 龍泉寺 「聖観音」 2016-11-2(Wed)
[PR]
# by yan-puchi | 2016-11-14 03:05 | 岡山県・寺院 | Comments(0)
e0342766_23263284.jpg
e0342766_03325073.jpg
 頼久寺  臨済宗永源寺派  
 山号:天柱山  本尊:聖観世音菩薩
 創建:不詳(1339年再興)  開基:寂室元光
 札所:瀬戸内三十三観音霊場 第13番、備中西国三十三観音霊場 第5番
 所在地:岡山県高梁市頼久寺町18
 頼久寺HP: http://raikyuji.com/

 岡山県内で最も心が洗われる城下町・高梁。天守の現存する山城では随一の高さ(標高約430M)を誇る備中松山城や、ベンガラ色の町並で知られる吹屋ふるさと村、現存する国内最古の木造校舎が一時話題になった高梁市立吹屋小学校などがあり、小さな町ながら県内随一の観光地だと思う。
 そんな高梁にある瀬戸内三十三観音霊場 第13番札所・頼久寺小堀遠州作の庭園で知られるお寺だ。創建は不詳だが、暦応2年(1339年)に足利尊氏により備中国の安国寺(南北朝時代に足利尊氏&直義兄弟が、北海道と沖縄を除く日本各地に設けた寺院)として再興されたらしい。ちなみに備前国の安国寺はというと、備前薬師霊場 第3番札所・醫光院なのだとか。
 永正年間(1504年ー1520年)に備中松山城主・上野頼久が寺観を一新。頼久の死後、寺号を安国頼久寺に改号。以来、現在に至るまで頼久寺の名で親しまれている。

 頼久寺を訪れるのは今回で三度目だ。数年前に歴史好きのブロガーさんと一緒に高梁の観光地を回った際に参拝したのが最初で、二度目は昨年のお彼岸時にドライブがてら御朱印をいただきに訪れたのだが、当然ながら御住職は不在で書置きのものをいただいてすごすごと帰った。その時にいただいたのが向かって右側の御朱印で、「慈眼視衆生」と書かれてある。
 そして今回、瀬戸内三十三観音霊場の御朱印(向かって左側)をいただくことが出来た。うーん…これは「佛心」と書かれてあるのでしょうか?
e0342766_02524691.jpg
e0342766_02535352.jpg
 
No.113 天柱山 安国頼久寺 「佛心」 
2016-11-2(Wed) 「慈眼視衆生」
 2015-09-21(Sun)

[PR]
# by yan-puchi | 2016-11-08 00:32 | 岡山県・寺院 | Comments(0)