人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ふらりと御朱印集め

yanpuchi77.exblog.jp

主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介しています。関西の寺社にもふらりと出掛けます。

最上稲荷 (妙教寺)

最上稲荷 (妙教寺)_e0342766_04374828.jpg
 最上稲荷 (最上稲荷山妙教寺)  日蓮宗 
 山号:最上稲荷山  本尊:久遠実成本師釈迦牟尼仏、最上位経王大菩薩
 創建:天平勝宝4年(752年)  開基:報恩大師
 所在地:岡山県岡山市北区高松稲荷712
 最上稲荷HP:http://www.inari.ne.jp/

 中国観音霊場を幾つか回った翌日、今度は吉備路へ向かった。古代には筑紫、出雲、大和などと並ぶ有力な勢力の一つだったという吉備国には、全国4位の規模ながら立入自由の造山古墳や、田園風景に調和した備中国分寺の五重塔など往時の隆盛をしのばせる史跡が今なお多く残っている。 
 まず最初に参拝したのは岡山市北区にある、高さ27Mというベンガラ色のデカい大鳥居が聳え立つ最上稲荷。正式名称は最上稲荷山妙教寺というそうで、明治の神仏分離令の際、特別に神仏習合の祭祀形態が許された稲荷寺だ。開基はすっかりお馴染みの報恩大師
 天平勝宝4年(752年)、報恩大師のもとに孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、八畳岩の岩窟にこもって祈願を行い最上位経王大菩薩を感得、孝謙天皇は無事快癒したという。そして延暦4年(785年)、今度は桓武天皇が病気になってまたしても勅命が下り、大師が祈願したところこれまた病気は全快。喜んだ天皇は大師に堂宇建立を命じ、今の地に “龍王山神宮寺” を建立したそうだが、羽柴(豊臣)秀吉の備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇などが焼失。その後新たに領主となった花房公の庇護の下、寺名を “稲荷山妙教寺” と改めて慶長6年(1601年)に復興したそうな。
 日曜ではあったが朝10時前ということで参道沿いのお店も準備中のところが多く、参拝客も数えるほど。まぁ普段はこんなものだろう。これがお正月になると一転、芋の子を洗うような大混雑となる。
 薄暗い参道を抜けると真っ先に目に飛び込んでくるのが、違和感たっぷりの仁王門。神社でもお寺でもない不思議な建造物(いや、インドっぽい気はするので仏教的ではある)。その門をくぐって階段を上るとデカい本殿が目の前に。まずは本殿に参拝してから、隣の祈祷受付で御朱印をお願いした。御朱印帳を預けてだだっ広い境内を散策。とても数分で全ては回れないので今回は脇の山道を上り、秀吉が備中高松城攻略の軍議を行ったという古跡・一の丸の途上に建つ、備中高松城の守護神を祀っている妙見堂へお参りした。
 山道を下り、受付で預けていた御朱印帳を受け取った。お寺のような神社のような御朱印だ。ついでに売店に寄って洒落た御朱印帳を購入し、最上稲荷を後にした。
最上稲荷 (妙教寺)_e0342766_03551257.jpg
最上稲荷 (妙教寺)_e0342766_03461947.jpg
最上稲荷 (妙教寺)_e0342766_05310049.jpg
最上稲荷 (妙教寺)_e0342766_05310981.jpg

 No.22 最上稲荷山 妙教寺 「妙法」 2015-05-17(Sun)
by yan-puchi | 2015-06-27 03:56 | 岡山県・寺院

by 楊ぱち