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御朱印集め 始めました

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主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介していきます

カテゴリ:京都府・寺院( 49 )

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 妙法院門跡   天台宗
 山号:南叡山  本尊:普賢菩薩
 創建:平安時代初期  開基:最澄
 所在地:京都府京都市東山区妙法院前側町447 
 智積院の隣に何やら格式高そうな寺院があったので、恐る恐る入ってみた。妙法院門跡というお寺だそうで、青蓮院、三千院と並ぶ天台宗の三門跡寺院の一つらしい。千体千手観音立像に度肝を抜かれる三十三間堂(蓮華王院)は、ここ妙法院所管の仏堂なのだとか。
 Wikiさんによると、天台宗の他の門跡寺院同様、妙法院は比叡山上にあった坊(小寺院)がその起源とされ、初代門主は天台宗の開祖・最澄らしい。平安時代末期(12世紀)の後白河法皇の時代に洛中に移転し、その後法住寺殿跡地に移転したそうな。
 国宝である庫裏は桃山時代の建築だそうで、豊臣秀吉が千僧供養を行った際、千人もの僧の食事を準備した台所らしい。外から内部を覗くと、ごっつい梁が見えた。
 更に境内を見て回ると宸殿の前に案内板があったので、何の気なしに読んでビックリ!文久3年(1863年)に起こった八月十八日の政変で、堺町御門の警備を免ぜられて御所に入れなくなった長州藩と、三条実美ら長州派の公卿7人が今後どうするかを話し合った場所というのが、ここ妙法院の宸殿だという。所謂七卿落ちの舞台である。
 昭和61年(1986年)の年末に放送された年末時代劇ドラマ「白虎隊」を見て日本史にどっぷりハマってしまったため、未だに幕末の偉人といえばこのドラマで演じた役者さんと重ねてしまうクセがある。八月十八日の政変を思い浮かべれば、どうしても私の中では会津藩主で京都守護職の松平容保風間杜夫さんであり、中川宮松山英太郎さん、三条実美は堀内正美さんになってしまうのである。あの堀内さんらが150年ほど前にここで話し合ったのか…。
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 No.87 妙法院門跡 「本尊 普賢尊」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-28 05:33 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 智積院 (五百佛山根来寺智積院)  真言宗智山派総本山
 山号:五百佛山  本尊:大日如来
 創建:慶長3年(1598年)  開基:玄宥
 札所:真言宗十八本山 第7番、京都十三仏霊場 第1番、近畿三十六不動霊場 第20番 他
 所在地:京都府京都市東山区東瓦町964
 智積院HP: http://www.chisan.or.jp/
 せっかく京都市内の鉄道・バスが2日間乗降自由のフリーきっぷを持っているというのに、ひたすら歩いてばかり。もっと活用しなきゃ…と京都駅方面へ向かうバスに乗ってはみたものの、さて次はどこのお寺に行こうかしらん――。とバスに揺られつつ思案していて、ふと朝いち目にしたデカいお寺を思い出したので行ってみることに。
 真言宗智山派総本山・智積院五百佛山根来寺智積院が正式名だそうな。智積院はもともと紀州根来山大伝法院(根来寺)の塔頭だったが、豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来寺焼き討ちにより全山炎上。智積院住職・玄宥は、根来攻めの始まる前に弟子達を引き連れて高野山に逃れたらしい。関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601年)に徳川家康が東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を玄宥に与えて、智積院が復興。さらに元和元年(1615年)に豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大したのだとか。ちなみに祥雲寺というのは、豊臣秀吉が幼くして亡くなった長男・鶴松の菩提のため建立した寺だそうな。
 総門をくぐり総合受付で御朱印を書いていただいていると、受付の方が「春の東山 三ヶ寺めぐり」の説明をしてくださった。3月14日から5月8日までの間は、東山南部地域の本山三ヶ寺(真言宗智山派総本山・智積院、真言宗泉涌派総本山・泉涌寺、臨済宗東福派大本山・東福寺)が1,000円で拝観できるという。ええッ、そりゃお得やん。ならばその時また来て拝観しよっ♪ということで、今回は金堂だけ参拝してすごすごと退散した。
 祥雲寺の客殿を飾っていたという、長谷川等伯らの手による国宝の障壁画鑑賞は次の機会ということで。
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 No.85 五百佛山 根来寺 智積院 「大日如来」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-17 04:44 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 金戒光明寺  浄土宗大本山
 山号:紫雲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第24番、洛陽三十三所観音霊場 第6番
 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121
 金戒光明寺HP: http://www.kurodani.jp/
e0342766_15571953.jpg 近年、くろ谷さんで最も有名且つ人気の仏様といえば、“アフロ地蔵”こと五劫思惟阿弥陀仏像だろう。お寺側もシールまで作ってアピールしてるし。
 阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だった時、一切の衆生救済のために五劫もの長い間、ただひたすら思惟をこらして修行をしたのだとか。五劫思惟の阿弥陀仏はその時の姿を表したものらしい。五劫とは時間の単位で、一劫とは「四十里立方(約160km)の巨大な岩に、天女が三年に一度(百年に一度という説あり)舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの時間」だそうで、その時間の5倍である五劫もの無限に近い時間を思惟に費やしているうちに髪が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となり、気が付けばアフロのようになっていたという。
散髪の時間はなくてもお食事はしっかりと取られていたようで、ひと安心!? 
 五劫思惟阿弥陀仏像は全国でも16体ほどしかみられないそうで、特に石仏は珍しいのだとか。

e0342766_15590808.jpg 五劫思惟阿弥陀如来像のある墓所の石段を上がっていくと、二代将軍徳川秀忠菩提のため寛永10年(1633年)に建立された立派な三重塔(文殊塔)がある。石段を上がる気力がなかったので墓所から眺めただけだったが、この塔の本尊であった文殊菩薩と脇侍像は、運慶作と伝えられているらしい。
 くろ谷さんでいただける御朱印は4種類あり、ここに紹介した3枚の他に、この文殊菩薩(中山文殊。中山宝幢寺の本尊だったが、応仁の乱の兵火によって廃寺となり、その後このお寺に遷座されたそうな)の御朱印もあった。4枚全て書いていただくのは何となく気が引けたので3枚に止めた次第だが、今思えば3枚も4枚も大した違いはなかったよね…(´・ω・`)
 墓所には(ごう。浅井長政お市の三女で、徳川秀忠正室にして三代将軍徳川家光の母)や春日局(家光の乳母)の供養塔や、会津藩殉難者墓地などもあったが、そちらはまた次の機会にお参りすることにし、朝から歩きどおしで棒のようになった足を引き摺りながら南門から退出した。
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 No.83 紫雲山 金戒光明寺 「五劫思惟」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-15 19:54 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 金戒光明寺  浄土宗大本山
 山号:紫雲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第24番、洛陽三十三所観音霊場 第6番
 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121
 金戒光明寺HP: http://www.kurodani.jp/
 金戒光明寺(通称:くろ谷さん)でいただいた2枚目の御朱印は、洛陽三十三所観音霊場の「吉備観音」。左上に“再興十周年”との記念朱印があるが、平成17年(2005年)に平成洛陽三十三所観音霊場会が再興されて昨年で10周年を迎えたそうで、平成28年4月14日までの間は各札所寺院で記念朱印がいただけるそうな。更に記念朱印を各寺で受けた公式朱印帖で満願を迎えたら、先着1,000名に“再興十周年記念 数珠ストラップ”を贈呈とのこと。嗚呼、数珠ストラップ欲しいなぁ。一週間ほどパートを休んで霊場巡りたーい!お遍路休暇とかあればいいのに… (´・ω・`)
 
 さて、この吉備観音というのは通称で千手観音像のことなのだが、遣唐使だった吉備真備が帰国の際に船が遭難しそうになり、「南無観世音菩薩」と唱えたところ難を免れたそうで、その時に唐より持ち帰った栴檀香木で行基に頼み観音像を刻んでもらったものらしい。ということで吉備真備に因んで吉備観音と呼ばれているそうな。ちなみにこの吉備真備と、神護景雲3年(769年)に起こった宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)で道鏡の政治的陰謀を阻止した和気清麻呂は、ごく一部の歴史好き岡山県民が胸中で誇る奈良時代の2大スターである。
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 No.82 紫雲山 金戒光明寺 「吉備観音」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-15 16:38 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 金戒光明寺  浄土宗大本山
 山号:紫雲山  本尊:阿弥陀如来
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第24番、洛陽三十三所観音霊場 第6番
 所在地:京都府京都市左京区黒谷町121
 金戒光明寺HP: http://www.kurodani.jp/
 新選組にどっぷりハマっていた学生時代、京都にある三つのお寺に行くのがささやかな夢だった。一つは壬生の屯所に近く、兵法調練場に使われたという壬生寺。一つは元治2年(1865年)から屯所を移転された西本願寺。そして残る一つが、新選組(当初は壬生浪士組)を預かって不逞浪士の取締まり等を任せてくれた京都守護職会津藩の本陣となった金戒光明寺だ。その夢は疾うの昔に叶えられたが、初めて訪れた時の感激は未だ忘れられず、何度訪れても胸が熱くなる。そんな金戒光明寺に、何年かぶりに再訪出来た。 
 以前は仏教に全く興味がなく、ただ歴史に登場するお寺ということでしか見なかったが、ここは浄土宗の開祖・法然が初めて草庵を結んだ、浄土宗最初のお寺だそうな。なので山門には後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があり、御朱印にも書かれている。この浄土真宗というのは「浄土の真なる宗」という意味で親鸞を開祖とする浄土真宗(浄土を顕かにする真実の教え)とは無関係とのこと。知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つだそうで、法然が入減する二日前に筆をとって弟子の勢観房源智に与えたという遺言書「一枚起請文」の原本はこのお寺にある。
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 No.81 紫雲山 金戒光明寺 「浄土真宗最初門」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-15 05:05 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 南禅寺 (太平興国南禅禅寺)   臨済宗南禅寺派大本山
 山号:瑞龍山  本尊:釈迦牟尼仏
 創建:正応4 年(1291年)  開基:亀山法皇  開山:無関普門
 所在地:京都府京都市左京区南禅寺福地町86
 南禅寺HP: http://www.nanzen.net/
 京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつという、臨済宗南禅寺派大本山・五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺。文永元年(1264年)亀山天皇が禅林寺殿という離宮を造営し、その後東福寺第三世・無関普門に深く帰依して法皇となり、正応4 年(1291年)に離宮を施捨して禅寺としたのが南禅寺であるそうな。ここのお寺は以前に訪れたことがあるので、今回は御朱印をいただくために参拝してきた。

 「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両…」
歌舞伎「楼門五三桐」の「南禅寺山門の場」での石川五右衛門の名科白で知られる南禅寺の三門だが、実際には五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628年)に、藤堂高虎が大坂夏の陣の戦没者慰霊のために寄進建立したものだそうな。まッ、細けえこたぁいいんだよ。特別拝観料500円を払い、三門に上がってみた。
e0342766_15515778.jpg う~ん…。 ほどほどかな、ほどほどかな。
  冬の昼前は値打が然程ねえ。
  この楊ぱちの目からは、値100円、200円…。
 とは言い過ぎで、やはり三門の上からの眺めは気分よく、暫し五右衛門気分を満喫したのであった。
 ちなみに南禅寺三門は、知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門であるそうな。

 その後庫裡へと向かい、書置きの御朱印をいただいてすごすごとお寺を後にした。 I'll be back !!
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 No.79 瑞龍山 太平興国南禅禅寺 「金剛王宝殿」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-11 23:05 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 青蓮院門跡   天台宗
 山号:なし  本尊:熾盛光如来
 創建:久安6年(1150年)  開基:行玄
 札所:近畿三十六不動尊霊場 第19番
 所在地:京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
 青蓮院門跡HP: http://www.shorenin.com/
 青蓮院門跡で書いていただいた御朱印は2枚。1枚は本尊の「熾盛光如来」、もう1枚は国宝の「青不動」である。熾盛光如来なんて聞いたこともない…というか、どう読むのかすら分からないのだが(^^;
 どうやら「しじょうこうにょらい」と読むそうで、この熾盛光如来を本尊とするお寺は、日本中で青蓮院門跡だけらしい。でもって祀られているのは「熾盛光如来曼荼羅」という約2メートル四方の掛軸で、中心に熾盛光如来を表す種子(しゅじ。仏尊を表す梵字)「ボロン」が描かれた「種子曼荼羅」というものだそうな。ちなみに熾盛光如来というのは大日如来の仏頂尊――如来の肉髻(頭頂部にある盛り上がり)を独立した仏として神格化したものなのだとか。

 一方の青蓮院所蔵の国宝「青不動」、正式には「絹本着色 青不動明王二童子像」といい、平安時代に国家の安泰や皇室の安寧を祈願することを目的に、当時の最高級の絵仏師によって描かれた礼拝画像で、現存する平安時代の仏画の最高傑作と言われているとか。ここ青蓮院の青不動、そして高野山の赤不動、三井寺の黄不動が日本三不動画らしい。

 今回の京都旅は一つでも多くの寺社を見て回ろうと、元々好きなお寺以外は慌しく参拝してしまったので、ここ青蓮院もあまり心に残っていない。本当に惜しいことをしてしまった。あと10年ぐらい働いてリタイアしたら、京都でマンスリーレオパレスでも借りて日々寺社巡りをするつもりだ。一つ一つの寺社をじっくり拝観して回りたい。でも一月じゃとても足りないよね。半年ぐらいは掛かるかも。嗚呼、実現出来るといいなあ…(´∀`*)
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 No.78 青蓮院門跡 「青不動」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-11 14:05 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 青蓮院門跡   天台宗
 山号:なし  本尊:熾盛光如来
 創建:久安6年(1150年)  開基:行玄
 札所:近畿三十六不動尊霊場 第19番
 所在地:京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
 青蓮院門跡HP: http://www.shorenin.com/
 青蓮院門跡は天台宗の三門跡寺院の一つだそうで、門跡寺院というのは門主(住職)が皇室あるいは摂関家によって受け継がれてきたお寺のことなのだとか。残る二つの門跡寺院は三千院妙法院だそうな。現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられているらしく、ここ青蓮院門跡に三千院門跡、妙法院門跡、そして曼殊院門跡、毘沙門堂門跡のことらしい。嗚呼、流石は千年の都。
 天台宗の開祖・最澄比叡山延暦寺を開いた際に建てた住坊の一つである青蓮坊というのが、青蓮院の起源とのこと。
 平安時代末期、青蓮坊の第十二代・行玄大僧正(藤原師実の子)が鳥羽上皇の第7皇子・覚快法親王を弟子とし、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して青蓮院と改称したのが門跡寺院としての青蓮院の始まりで、その行玄が門跡寺としての青蓮院の第一世門主なのだそうな。 
 「愚管抄」の著者である第三代門主・慈圓藤原兼実の弟)は、当時まだ新興宗教だった浄土宗の祖・法然や、浄土真宗の祖・親鸞を延暦寺の抑圧から庇護したそうで、特に親鸞は慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっているのだとか。
 他にも十七代門主・尊円法親王伏見天皇の第六皇子で名筆家として知られ、その書風は青蓮院流と呼ばれたとか、室町時代には後に室町幕府第六代将軍・足利義教となる義圓が門主を務めたとか、江戸時代の天明八年(1788年)に大火によって御所が炎上した時、後桜町上皇が青蓮院を仮御所として避難したため粟田御所とも呼ばれているとかで、まぁとにかく古都・京都の歴史がぎゅっと詰まった格式の高いお寺なのであった。

 ――ということを知ったのは、お寺でいただいた「青蓮院門跡の由緒」を帰宅してからじっくり読んでのこと。予めお寺に関する知識を頭に入れて訪問していたなら感動も格別だっただろうに、実に勿体ないことをした。
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 No.77 青蓮院門跡 「熾盛光如来」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-09 04:56 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 知恩院 (華頂山知恩教院大谷寺)  浄土宗総本山
 山号:華頂山  本尊:阿弥陀如来、法然上人像
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第25番
 所在地:京都府京都市東山区林下町400
 知恩院HP: http://www.chion-in.or.jp/index.php
 平成24年から大修理中の御影堂(国宝)の東に圓光大師本廟路、いわゆる智慧の道という長い石段がある。その石段の奥にあるのが法然の遺骨を納めている御廟と、法然終焉の地である大谷禅房の旧跡・勢至堂だ。 
 勢至堂は享禄3年(1530年)に再建された、知恩院最古の建物らしい。御影堂が建てられるまではここが本堂だったそうで、法然の幼名・勢至丸ゆかりの勢至菩薩像を本尊として祀っているそうな。堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、これが知恩院という名の起源なのだとか。
 …などとさも見てきたかのように書いてみたが、本当は案内所で御朱印を書いてもらっただけで行ってはいなかったりする ( ゚д゚ ) この罰当たりめッ!すみません、次回は必ず足を運びますので。

 泰平亭(売店)で御土産と自分用の護符を購入。店を出ると保育園児だか幼稚園児だかの集団にお坊さんが話をしていた。いいなぁ、京都人は小さい頃からこんな大寺院に慣れ親しんで育つのか。何という贅沢。
 微笑ましい光景を背に、知恩院に暫しの別れを告げて次なる目的地へと歩き出したのであった。
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 No.76 華頂山 知恩院 「勢至菩薩」 2016-02-26(Fri)

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by yan-puchi | 2016-03-07 05:17 | 京都府・寺院 | Comments(0)
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 知恩院 (華頂山知恩教院大谷寺)  浄土宗総本山
 山号:華頂山  本尊:阿弥陀如来、法然上人像
 創建:承安5年(1175年)  開基:法然
 札所:法然上人二十五霊場 第25番
 所在地:京都府京都市東山区林下町400
 知恩院HP: http://www.chion-in.or.jp/index.php
e0342766_12341074.jpg 御朱印が書き上がるまで飴でもどうぞ、といただいた宣伝用らしき知恩院オリジナルキャンディ。ピーチ味の普通に美味しい飴ちゃんだったが、表面のでこぼこは木魚の柄だったらしい…。そのこだわりは果たして必要なのだろうか(^^;
 
 こちらは、御朱印集め10ヶ月目にして初めていただいたご詠歌。
 「草も木も 枯れたる野辺に ただひとり 松のみ残る 弥陀の本願」
 詠まれたのは観智国師(慈昌)という方だそうで、増上寺(東京都港区)の第十二世で号を貞蓮社現誉存応といい、徳川家康の帰依を受け、知恩院の興隆と近世浄土宗発展の基礎を築いた高僧なのだとか。
「草木が枯れてしまった冬の野辺に、松だけが緑を誇っているように、末法の世の中で教えが廃れてしまっても、阿弥陀如来の本願の教えだけはいつまでも栄え続ける」というような意味らしい。
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 No.75 華頂山 知恩院 「草も木も枯れたる野辺にただひとり 松のみ残る弥陀の本願」 2016-02-26(Fri)
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by yan-puchi | 2016-03-06 04:46 | 京都府・寺院 | Comments(0)