人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ふらりと御朱印集め

yanpuchi77.exblog.jp

主に岡山県内の寺社でいただいた御朱印をのんびり紹介しています。関西の寺社にもふらりと出掛けます。

多度大社_e0342766_16575405.jpg
 多度大社  式内社(名神大社)、旧国幣大社、別表神社
 祭神:天津彦根命
 創建:雄略天皇年間
 所在地:三重県桑名市多度町多度1681
 多度大社HP: https://tadotaisya.or.jp/

 大垣駅から養老鉄道に乗り込み多度駅へ。氾濫・洪水を繰り返す木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水を幕府より命じられ、総奉行に任命された家老・平田靱負ら薩摩藩士が参拝して工事の無事を祈ったという多度大社にも行って来た。「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われたという由緒ある立派な神社である。
 そういえば境内の急坂を人馬で駆け上る神事(上げ馬神事)とかで、本番前に馬を興奮させようと暴力的なことをしたとかいうニュースを見たっけ…。この上げ馬神事には700年近い歴史があるそうで、神社のHPでも詳しく説明されている。まぁ近頃人里に熊が出没して問題になっているが、駆除するな!との電話を態々掛ける方々もいるそうなので、動物の扱いが難しい時代になったわな。
 
 コロナウイルスが流行しかけていた令和2年(2020年)3月に参拝したが、2ヶ月後に行われる予定だった上げ馬神事は中止になった。上げ馬神事は戦時中でも行われており、中止になるのは長島一向一揆の平定に動いた織田信長による焼き討ちで神社が焼失して以来、約400年ぶりだとのこと。
 現在は再開されているようだが、今年の6月に事故防止対策協議会が開かれ、三重県や桑名市、警察の担当者、地元代表などが出席し、三重県が壁を含む坂全体の構造を見直すことを提案し、多度大社や地元の代表がこの提案を受け入れる方針を決めたとWikiさんに書かれている。
 しかし今月に入って参拝・祈祷の進行を妨げる内容のメールやら、動物愛護団体と思われる者から手段を選ばず神社の業務を妨害することを予告するメールやらが送られたらしく、11月4日は終日参拝・祈祷・御朱印授与停止や参集殿・頒布所・豊明殿が閉鎖されたのだとか。動物愛護の気持ちはまぁ分からなくもないが、こんな事をすれば何やら神罰が当たりそうではある。

 多度大社の祭神・天津彦根命(あまつひこねのみこと)は天照大神建速須佐之男命の誓約の際に、天照大神が須佐之男命に授けた物から生まれた五柱の男神の内の一柱であり、天照大神の御子神であるそうな。その縁故により、多度大社は「北伊勢大神宮」ともいうのだとか。
 嗚呼、いつの日かお伊勢参りもしたいなぁ。もし念願叶って参拝できる日が来ても、どうか脅迫メールでその日だけ参拝停止とかにはなりませんように。
多度大社_e0342766_18193144.jpg
多度大社_e0342766_18195251.jpg
多度大社_e0342766_18200226.jpg
多度大社_e0342766_18202373.jpg

 No.186 多度大社 「多度大社」 2020-03-09(Mon)


# by yan-puchi | 2023-11-19 18:23 | 三重県・神社
濃飛護國神社_e0342766_01580142.jpg
 濃飛護國神社  旧内務大臣指定護国神社
 祭神:明治戊辰の役以降国難に殉じた西濃地区出身の英霊1万8,900余柱
 創建:明治2年(1869年)
 所在地:岐阜県大垣市郭町2-55
 岐阜県神社庁HP: http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2008

 大垣城の旧本丸、二の丸を整備して造られた大垣公園内に鎮座する濃飛護國神社にも参拝してきた。
 岐阜県には国家のために殉難した英霊を祀るための護国神社が3社あり、この濃飛護國神社は明治4年(1871年)に “官祭招魂社” に指定され、後に “内務大臣指定護国神社” となったそうな。御祭神は西濃地区出身の英霊1万8,900余柱である。そして岐阜護國神社は護国神社令を受けて創建され、竣工と同時に “指定” に、戦後は “別表神社” となったのだとか。御祭神は中・東濃地区出身の英霊3万7,800余柱だ。残る飛騨護國神社は “私祭招魂社” として創立されて “指定外” の護国神社となり、飛騨地区出身の英霊6,425柱を祀っているとのこと。(飛騨護國神社公式HP参照)
 岐阜県には縁もゆかりもないが、御国の為に身命を賭して戦ってくださった先人達のおかげで、今の平和な日本で安穏と生きていられることに心より感謝した。

 しかし昨年から続くロシアのウクライナ侵攻、今月7日にパレスチナのガザ地区を支配するハマスによるイスラエルへの攻撃によって勃発した、ガザ側の武装勢力とイスラエルの戦争、他にも内戦やら紛争やらが世界のあちらこちらで今なお起こっている。世界中が平和になればそれに越したことはないが、せめて日本は二度と過ちを繰り返さないでほしいと切に願う。 
濃飛護國神社_e0342766_03114713.jpg

 No.185 濃飛護國神社 「濃飛護國神社」 2020-03-09(Mon)


# by yan-puchi | 2023-10-22 03:16 | 岐阜県・神社
大垣城_e0342766_01503208.jpg
 大垣城
 別名:麋城、巨鹿城
 築城年:天文4年(1535年)  築城主:宮川安定
 城郭構造:連郭輪郭複合式平城
 所在地:岐阜県大垣市郭町2-52
 大垣観光協会HP: https://www.ogakikanko.jp/spot/ogakijyo/

 木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の御手伝普請を幕府より命じられた薩摩藩主・島津重年は宝暦4年7月4日、江戸への参勤途上、治水工事に従事している藩士慰問のためこの地を訪れたのだが、そのとき到着したのが大垣であった。その大垣に私もついにやって来た!
 ということで目的は果たせたのであるが、せっかくなので何か見てから帰ろうとあてもなく通りを歩いていると、大垣城に辿り着いた。大垣城といえば、関ヶ原の戦いの際に石田三成らが入城して西軍の根拠地になった城ではないか。宝暦治水のことばかり考えていたので、すっかり忘れていた。

 大垣城は天文4年(1535年)に美濃守護・土岐一族の宮川安定により築城されたとも、明応9年(1500年)に竹腰尚綱が築城したともいわれている。当初は水門川の流れを外堀に利用した小規模の城だったらしいが、氏家直元(卜全)の城主時代に堀や土塁に手が加えられ、慶長元年(1596年)に伊藤祐盛によって天守が造営されたそうな。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、城主・伊藤盛宗が西軍に属したため、石田三成ら西軍の主力部隊が入城して根拠地となった。

 420年前、この城に三成を始め島津義弘宇喜多秀家小西行長らが入城して激論を交わしたとか、もう想像するだけで胸が熱くなる。
 さらに270年ほど前には島津義弘の子孫である島津重年までもが一子・善次郎(島津重豪)を世継にと幕府に届けることを名目に、わざわざこの地まで足を運んで治水工事の現場を視察に訪れ、藩士を励ますために懐かしい薩摩焼酎を各出小屋(工区を四つに分け、それぞれの工区に建てた寝泊りする小屋)に賜ったのだ。

 今までお城はいくつか見てきたが、今回初めて御朱印のお城バージョンである “御城印” をいただいた。
 御城印に押されている印のうち「大一大万大吉」は石田三成の旗印で、もう一つは大垣藩主・戸田家の家紋の「九曜紋」である。偶然なのがどうなのか、三成の家紋も「九曜紋」だったりする。 
大垣城_e0342766_03564253.jpg
大垣城_e0342766_03570863.jpg
大垣城_e0342766_03572987.jpg

 No.184 大垣城 「大垣城」 2020-03-09(Mon)


# by yan-puchi | 2023-10-21 04:03 | 城郭
海蔵寺_e0342766_03124523.jpg
 海蔵寺  曹洞宗
 山号:法性山  本尊:十一面観世音菩薩
 創建:天正2年(992年)  開山:晫州有暾
 札所:三重梅花百観音霊場 第52番
 所在地:三重県桑名市北寺町10
 海蔵寺HP: https://kaizouji.net

 宝暦4年(1754年)~宝暦5年(1755年)、氾濫・洪水を繰り返す木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の治水を幕府より命じられ、数多の犠牲者(51名自害、33名病死)を出しながら難工事を完遂した薩摩藩の悲劇を描いた、杉本苑子さんの直木賞受賞作「孤愁の岸」。大好きな歴史小説のひとつである。
 私がこの『宝暦治水事件』について知ったきっかけは、森村誠一さんの「人間の剣 江戸編(3) 天下の落胤」の中の「泥まみれの士魂」という話で、主人公は、外様大名の勢力撲滅政策として幕府から寝耳に水の普請手伝いを命じられて窮地に陥った薩摩藩を一身に担い、治水工事を完成させた薩摩藩筆頭家老にして総奉行に任命された平田靱負
 当時すでに66万両もの借入金があり、財政が逼迫していた薩摩藩では、工事普請の知らせを受けて幕府のあからさまな嫌がらせに「一戦交えるべき」との強硬論が続出したが、財政担当家老であった平田さんは強硬論を抑え、薩摩藩は普請請書を宝暦4年に幕府へ送った。
 当初10数万両ほどと見込まれていた工事費用は最終的に40万両ほどに膨れ上がり、工事費用を捻出するため大坂豪商から借金を重ね、また数多の犠牲者を出してしまったこともあってか、平田さんは工事が無事終了した後、国許への報告書をしたためて自害したとされる。
 宝暦治水に関するこの2作品で私の心を最も打つのは、若き薩摩藩第7代藩主・島津重年公なのである。宝暦3年12月25日、幕府より濃尾治水の手伝普請(監督、設計は幕府が行い、経費と人夫を大名が負担する)を命じられた時、重年25歳。無茶な幕命を受けざるを得ず、断腸の思いで家臣たちを縁もゆかりも無い遥か遠くの濃尾へと送ることとなる。「御奉書、拝見いたし候。濃州勢州尾州川々御普請手伝ひ仰せつけられ、有難き仕合せに存じ奉り候。尤もこの節、参府に及ばざる旨仰せ下され、畏み奉り候。右御請け申し上ぐべく、飛札を呈し候。恐々謹言。正月二十一日 松平薩摩守」
 この約2週間後、重年の継室・村子の方が23歳の若さで死去。
 宝暦4年7月5日、重年は一子・善次郎(重豪)を世継にと幕府に届けることを名目に、わざわざ治水工事の現場を視察に訪れ、藩士を励ますために懐かしい薩摩焼酎を各出小屋(工区を四つに分け、それぞれの工区に建てた寝泊りする小屋)に賜ったという。どちらの小説にもこの時、重年が流行の疫病で苦しんでいる病人の隔離小屋を自ら見舞うエピソードが描かれており、涙なくしては読めないのである。
 宝暦5年5月22日、最大難場であった四ノ手の油島千間堤の検分が無事終了。国許への工事完了報告書を書き終えた平田さんは25日自害。享年52歳。 6月1日、重年は幕府に対して工事竣成届を提出。「濃州勢州尾州川々御普請手傳仰付け置かれ候場所、残らず成就仕り、先月二十二日迄に見分相済み、小屋引拂ひ、差出し置き候家來共、追々引取り候旨申越し候。此段御届申上候。以上」
 6月8日、重年は江戸藩邸にて平田さん自刃の報告を病床で受け、悲涙に咽んだという。
 6月13日、幕府は重年に対して大普請御手伝成就の功を賞すも、重年は病床にあって身動きが出来なかったため、名代が登城。
 6月16日、重年卒去。享年27歳。

 この心優しき青年藩主の身も心も苦しめた宝暦治水の地を、木曽三川を、自分の目で見てみたいと常々思っていた。そして20年3月、意を決して遙々三重県桑名市を訪れた。この海蔵寺には宝暦治水工事で自害した薩摩藩士51名のうち、24名の墓碑・供養塔がある。まずは薩摩義士の墓所に参らせていただいた。故郷から遥か遠く1,200キロも離れた無縁の地に眠る藩士達は何を思う…。お寺の方に声を掛けてみると御住職はお留守だったが奥様がご在宅で、御朱印をいただいた後に本堂で1時間近く色々な話を伺うことが出来た。本当に有難うございました m(_ _)m 

海蔵寺_e0342766_03554588.jpg
海蔵寺_e0342766_03562349.jpg
海蔵寺_e0342766_04000022.jpg
 最大難場であった四ノ手の油島千間堤には、薩摩藩士達が工事中に倒れた犠牲者の鎮魂を祈って植樹したという、九州から取り寄せた日向松が繁茂し、千本松原として今も残っている。

 No.183 法性山 海藏寺 「大悲殿」 2020-03-09(Mon)


# by yan-puchi | 2023-10-20 04:13 | 三重県・寺院
大願寺_e0342766_00105509.jpg
 大願寺  高野山真言宗
 山号:亀居山  本尊:薬師如来、弁財天
 創建:不詳  開基:不詳
 所在地:広島県廿日市市宮島町3
 一般社団法人 宮島観光協会HP: https://www.miyajima.or.jp/sightseeing/ss_daiganji.html

 明治初年の神仏分離令により厳島神社千畳閣から遷された多くの仏像を安置している大願寺。院号は放光院。山号の亀居山は、千畳閣や五重塔がある岡一帯の海に突き出た所で、空から見ると亀の姿に似ていることから付けられたのだとか。
 創建年代等については不詳であるが、寺伝によれば平安時代初期に空海によって開かれたとも伝えられるが、一説によれば鎌倉時代初期の建仁年間(1201年 - 1204年)に了海によって再興されたとも伝えられるらしい。
 現在の本堂は昔の僧坊で、大経堂である千畳閣が本堂になる予定だったそうな。昔の参拝者は大鳥居をくぐって大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清めて僧坊で休憩、着替えてから厳島神社に参拝したという。

 書院には「明治維新直前(慶応2年9月2日)世に言う長州征伐の際 勝海舟木戸孝允桂小五郎)氏等 会談の部屋」と書かれた札が掲げられており、おおッ!150年ほど前に木戸さんがここで会談を!と感激したのであるが、実際には長州側は木戸さんじゃなくて広沢真臣さんとかだったと後で知った。
大願寺_e0342766_00123869.jpg
大願寺_e0342766_00122759.jpg
大願寺_e0342766_00130196.jpg
嚴島寶物館には平家納経を初め刀剣類・鎧兜・装束等が展示されている

 No.182 亀居山 放光院 大願寺 「厳島弁財天」 2019-05-27(Mon)


# by yan-puchi | 2023-04-03 01:44 | 広島県・寺院

by 楊ぱち